儒教あれこれ その3

 東アジアの人々の生き方に影響を今なお与えているとも言われる儒教、そしてその中の朱子学について、ちょこちょこ調べたもの、耳に入ってきたものを残しておきたいと思います。

朝鮮への影響

 前に述べた宋の状況「極端な文治主義・官僚層の貴族化・内部抗争(党争)の激化」は、時を経た李氏朝鮮に戯画のように繰り返されています。朱子学が尊重されたから似たのか、あるいは似た状況だから朱子学が盛んになったのか、微妙なところです。
 1392年に親明派の李成桂が建国した朝鮮は、崇儒廃仏を掲げました。そして3代太宗・4代世宗以降、本格的に仏教を弾圧し国教としての朱子学のみに偏重(といいますか唯一絶対なものに)していきます。


 儒教と言っても、孔子儒学孟子儒学、朱(熹)子の儒教儒学)、王安石儒教儒学)…と、いろいろありますし、それぞれがカトリックプロテスタントほどの違いを持っているものなので、朝鮮(そして韓国)のように朱子儒教のみが優れていると主張する国家は他に類をみません。
 もちろん儒教儒学)は日本にも到達していました。しかしながら日本では、官学としての朱子学以外にもそれぞれの立場に応じた儒学が存在できましたので、誰が禽獣に近いかなどということで党派争い(党争)をする馬鹿なインテリだけが政策を決めるなどということはありませんでした(思いつくだけでも「大塩平八郎」「中江藤樹」…様々な思想がありました)


 朝鮮での朱子学を援用した人間関係の規定、その序列化は、国王や両班を中心とする階級支配を維持永続化するために存在したものとしか思えません。これがこの国で近代的国民国家(社会)の成立を難しいものにした原因の一つと考えてよいでしょう。


 儒教には三綱五倫と言われる基本的な倫理原則があるとされます。三綱とは、臣下の王に対する忠・子の親に対する孝・妻の夫に対する烈を言います。五倫とは、父子有親(親に孝行)・君臣友義(君に忠誠)・夫婦有別(夫婦(男女)に役割)・長幼有序(年齢の上下に秩序)・朋友有信(友に信義)です。
 しかし三綱五倫だとか、礼儀道徳だとか言っても、現実の差別の体系という現代の観点から見れば悲惨なものに見えてしまいます。歴史の評価にあまり現在の視点を持ち込むべきではないと思いますが、たとえば現在も韓国においては接客業というのが賤しい職業だとされています。そしてその中にも序列があり

「食堂のウェイトレスは床屋の女店員を蔑み、床屋の女店員は酒場のホステスをいやしみ、酒場のホステスは自分たちは旅館の女たちとは違う、「自分たちはあのようなチムスン(禽獣)ではない」と力強く主張するのである」(古田博司朝鮮民族を読み解く』ちくま新書

ということだそうです。

おまけ 儒教五常と八徳

 他に儒教には人の守るべき五常や八徳というのもありますが、日本でよく知られているのは八徳の方です。


五常
 仁(相手を思いやる)
 義(利害よりも条理に従う)
 礼(相手を敬う)
 智(合理的に判断する)
 信(まごころで対処する)


八徳(八犬伝で有名ですね)

 仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌

 五常に比べて増えているのが三綱からの「忠」と五綱からの「孝」と「悌」(年長者へは柔順に)ですか。
 本当にこれが生かされているなら問題は簡単なのですが…。「論語読みの論語知らず」的なところがたくさんあるのが実社会なんでしょうね。