儒教あれこれ その5

 儒教が宗教であるとされるのは、先祖祭祀を重視しているからです。以前にも述べましたが、原始仏教以来もともと仏教は葬送儀礼を持たず(死者の供養などは在家に任せておけ、とは釈迦の言葉)、葬儀儀礼儒教から取り入れて東アジアに展開したという歴史を持っています。今の日本の仏教が「葬式仏教」と呼ばれるのはその点で皮肉なものです。(位牌も元々儒教のもの)


 儒教では先祖の祭祀や孔子など聖人とされる儒家の祭祀をします。祭祀が行なわれるのは廟というところで、ここに位牌等が並べられています。さて、儒教では死者の魂が「あの世」に行く訳ではありません。魂も現世に留まります。ですが、祭祀をせずにいると魂が雲散霧消してしまうとも、また子孫に感応して散ったものが集まって魂に戻るともされます。そこで子孫は祭壇を設けて食べ物を捧げ、祖先が飢えて餓鬼にならないように食事を送り続ける必要があるのです。


 韓国ではこれら儒式の祭祀を、朱子が書いたとされる『朱子家礼』という儀礼書に則って行います。祭壇に積まれた山海の珍味(儒教では肉魚介類もOK…これを祭需という)を、男の子孫が匙ですくい、祖先に食べさせてあげる動作をします。それをしばらく繰り返し、終えると、子孫の血族が集まってきて、祭需を分け合って食べるのです。祖先の食した食べ物には霊力があってこれを食べることは福をいただくことだとされるからです(これを「飲福」という)。


 何代前の祖先までこの祭祀を行なうかということでは、実は朱子は明確な言葉を残しておらず、朝鮮でも17世紀頃まで論争になっていましたが、結局四代前まで(四代祖の両系…曾々祖父、曾々祖母まで)ということで決着しました。こうした四代の祖に対する奉養を含めて、韓国では「孝」としていますから、特に本家の長男にとっては頻繁に祭祀をする義務があり、金銭的負担も相当なものになります。また次代の祭祀の実行者となる「男の子」を産むのは、嫁の最低限の義務であり、不妊は当然の離婚要件ともされていました。

再掲 「嫁の七悪」(韓国)

 一悪 男の子を産めない
 二悪 夫の若い愛人に嫉妬をする
 三悪 義父母への孝行をしない
 四悪 浪費
 五悪 慈悲の心がない
 六悪 直らぬ病にかかる
 七悪 夜の寵愛を夫にねだる