儒教あれこれ その6

半島での祭祀

 その5で述べました四代祖(曾々祖父、曾々祖母)までの祭祀は、それぞれの命日に祀られます。これを忌祭祀と言います。これはもともと命日の午前零時から夜明けまでかけて行なわれていました。また、時祭というものがありまして、これは陰暦十月に血族が墓地に集まり、始祖から順に五代以上前の先祖の墓をまわって祭祀を行なうものです。さすがに全部まわると大変なのである程度数を選んでまわっているそうです。そして元旦や秋夕等の名節の朝に、本家に全員が集まって祭祀し、その後堂内(韓国語でチバン)の家々を巡って各家の祖先を祀る節祀というものもあります。厳密に言えば他にもいくつか祭祀があり、年間半月以上は祭祀日ということになるのです。


 今、堂内という言葉を出しましたが、これは四代祖の子孫達を指します。古田博司さんの『朝鮮民族を読み解く』(ちくま新書)では、この「チバン、四代祖血族」が「ウリ=われわれ」の核であるとされています。そして基本的には、この血縁関係以外は信じることができないというのが韓国人の基底的なメンタリティーだったわけです。しかし古田氏は、社会が安定的で豊かになれば「ウリ」の範疇は広がるともしています。堂内(チバン)より広がったウリは「門中=ムン・チュン」です。これは分派祖血族を指します。さらに広がれば「宗族=チョン・チン」があります。これは同本同姓血族、つまり本貫(祖先の出身地)が同じで同姓(同じ姓)の人を広く血族として認めた言い方で、韓国の民法では、この宗族どうしの結婚が認められていないというのは有名な話です。またさらにウリが血族を超えて広がっていけば「同郷同学=トン・チャン」があると言います。地縁でつながった人たち、そして同じ学校の先輩後輩の枠です。そして最大限にウリが大きくなると「知人=アヌン・サラム」の枠があるのです。このウリの枠の外は「ナム=他者・ストレンジャー」の世界で、韓国人はナムに興味を示しませんし、いくら失礼なことをしてもお構い無しということになるのです。
 危機的状況、例えば政治的混乱等が起きると、彼らにとってのウリは外周を切り捨てつつ縮小していき、最後には堂内(チバン)が残ることになります。朝鮮民族は歴史的に血族を超えた者どうしが信頼関係を結ぶというシステマティックな機構を作り上げることなく現代に至ってしまっており、他者との関係が非常に不安定です。それゆえ他者との信頼関係の維持のために、常に人情を注ぎ込み続けなければならなくなっているというのが、古田氏の論です。


 さすがに90年代以降の韓国では、ウリから離れナムの中へ単身で飛び込んでゆく近代的「個人」がでてくるようになったのですが、いつまでも儒教からくる伝統、血族関係を中心とするウリが中核としてあるようでは、民主化以前に近代化という側面からも非常なマイナス効果を持たざるを得ないでしょう。

朴正煕の儒教

 さて、朴正煕大統領は「親日派」と断罪される面を持つ人ですが(笑)、彼は近代化・民族主義を推進するため、儒教李朝に否定的な態度をとりました。

 「我々は李朝史を、四色党争、事大主義、両班の安逸な無事主義的生活態度によって後代の子孫に悪影響を及ぼした民族的罪悪史であると考える。時に今日の我々の生活が辛く困難にみちているのは、さながら李朝史の悪遺産そのものである。今日の若い世代は既成世代とともに先祖たちの足跡を怨めしい眼で振り返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」(『朴正煕選集 二 国家・民族・私』)


 朴大統領は1973年5月17日、大統領令6680号による「家庭儀礼準則」の施行により、家庭での祭祀を簡略化させようともしています。これによって、祭祀は祖父の代までとすること、父母の喪は百日にすること(従来は三年)、忌祭は真夜中にせず命日の夜八時までに簡素に行なうこと、本家や分家単位の祭祀はしないこと、結婚式や葬式の饗応はやめること、葬儀は三日葬で簡潔にすること、等々の簡略化が図られたのですが、こうした宗族の押さえ込み政策は大変評判が悪く、伝統の破壊、武断としてなかなか浸透しなかったそうです。


 韓国においては、戦後なお近代化と宗族の綱引きが行なわれていたのです。