林の中の象

 孤独に歩め。悪を為さず。求めるところは少なく。林の中の象のように。(イノセンスより)


 午前中、久しぶりにDVDで押井監督のイノセンスを見返しました。そしてこの作品が、いろいろな箴言や古典の言葉が満載だった(ある意味ペダンティックだった)ことにあらためて気付いた次第です。そういう作品も決して嫌いではありません(むしろ好きな方かも)。
 そして前からちょっと気になっていた上の言葉を調べてみました。(一年も経っていまさらですし、ファンの方は当然ご存知だったとは思いますが…)


 これは「仏陀の言葉」(ダンマパダ)(第23章 328-330)*1が出典だったのですね。

 もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め
 しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。
 愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。孤独(ひとり)で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。──林の中にいる象のように。(中村元訳)


 この言葉が仏典から来ていることはどこかで聞き知っていましたが、「独身のすすめ」に近いことを言っているとは知らなかったです(笑)。まあ今の私にとって心に響くとまでは参りませんが、それなりにしみじみといい言葉ではあると感じられます。


 日記を書き綴って今日で30日、今まで日記など三日坊主だった私がよく続いたものです。どこまでこの先続けられるかわかりませんが、今日見かけたのも他生の縁、多くは望まず「林の中の象」みたいに日記を続けていこうかなという気になっています。無理せずこういうモットーで行くというのもいいものです。


 それにしてもおよそひとつき書いてきて、自分でも意外なくらい半島絡みの話も多かったなと思います。考えてみればここ数年来、韓国朝鮮(ちょっと中国)の絡みでネットに書き込んだり書籍を買って読んだり、費やした時間は相当なものでしたから何か書こうとするとそこらが反映するのは当たり前かもしれません。
 そしてある意味私はこのことに感謝もしています。中韓、そして北朝鮮とのことに目を向けるようにならなければ、たとえば国籍のことにしろ真剣に考えてみることはなかったかもしれません。これらの国々は私が日本を考えてみる重要な契機になってくれました。外があって初めて内が見えるということなのか、海外旅行に行って日本人を意識するというのと似た効果が生まれたのでしょう。


 前から日本人論的なものを読むのは好きでしたが、日本をどこか否定してかかる(と感じた)中国や半島の言説に対して何か言おう、本当はどうなのか知ろう、というモチベーションで動いたこともあり、本業よりむしろ実が入った勉強でした。ただ現時点で少々大変になってきたのは、いろいろ見聞きし読んできたことから発言していくときに、その元になったものやはっきりしたソースがいちいち思い出せないこともあるようになってきたことです。学術論文を書くんじゃないからと、意識して記録して来なかったということが悔やまれます。少なくとも手元にある書籍類のあたりから引くときは、見直してみようとは思っております…。


 当初考えていてほとんど書けなかったこともいくつかあります。たとえば都都逸や和讃などを新しい日本語の定型詩として見直そうとか…。そういうものも含めて、自分の考えの赴くままもう少し続けたいなというのが今の心境というところでしょうか。


 孤独に歩め。悪を為さず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

*1:『ダンマパダ』(法句経)パーリ語仏典として知られる原始仏典(初期仏教の経典)。