ゴジラと英霊

 靖国神社に祀られる戦死者の方々と「御霊信仰」とに重なる部分ありとして語られるサイトをいくつか拝見しました。なるほどそういう視点もあるでしょう。興味深く読ませていただきました。


 私は、先の大戦で亡くなった兵士の方々のことを考えるとき、いつもずっと以前に読んだ一つの小論を思い出します。それは赤坂憲雄氏の「ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか」*1という一文です。

ゴジラ』が封切された年には、太平洋のビキニ諸島沖で水爆実験がおこなわれ、広島・長崎につづいて被爆者が出た。まだ、敗戦から十年も経たぬ、戦争の記憶が生々しく人々のなかに生きていた時代だった。


 私が最初の『ゴジラ』を見たのは、もちろん公開当時ではありません。公開は私の生まれるずっと以前のことです。ですから「怪獣映画」の時代背景を考えてみることなど考えつきませんでした。いわれてみればどの映画も「時代の子」なんですね。
 そして『ゴジラ』をリアルタイムで見た人々は、ほとんどがあの戦争を体験していたんです…

…ここでの関心は、ゴジラはなぜはるかな南太平洋の海の底から黄泉がえり、皇居のある東京をめざすのか、ということである。ゴジラは東京に襲来し、廃墟となるまで踏み荒らす。銀座のデパート街を襲い、国会議事堂を破壊し、そして、皇居の周囲をあてどなく巡ったすえに、不意に背を向けて、ふたたび南の海へ還ってゆく。


 正直こういう見方でゴジラを見ていませんでした。皇居を破壊しないことも、単に皇室タブーみたいなもので考えていましたし…。(こういうところに疑問を持って問題を「作り出す」ようなスタイルも実は好きなほうです 笑)。
 東京の、いえ日本の中心に皇居がある的な論もいくつかあったはずですので、よく考えてみればゴジラがそれを、つまりシンボリックな日本を壊さないのは妙と言えば妙です。むしろそれをしないということで、日本人とゴジラは「馴れ合え」、何度も何度もじゃれるように戦うことができたのかも…。

 かつて、川本三郎が『ゴジラ』について語ったエッセイのなかで、『ゴジラ』は第二次大戦で南の海に死んでいった兵士たちへの鎮魂歌ではないのか、と指摘していたことが思いだされる。川本はそこで、皇居を前にしたゴジラが突然まわれ右をして海に還るシーンに、痛ましさをみいだし、こんなふうに書いた。

 戦争で死んでいった者たちがいまだ海の底で日本天皇制の呪縛のなかにいる……。ゴジラはついに皇居だけは破壊できない。これをゴジラの思想的不徹底と批判する者は、天皇制の「暗い」呪縛力を知らぬ者でしかないだろう。


 これが単なる一つの説にすぎないことはわかっています。でもどうしてもこのビビッドなイメージが頭に刷り込まれてしまって、どこかで本当にゴジラが南洋で死んでいった戦死者たちの想いであるような気がしてならなかったんです、私には。


 自分たちが死んだことも、戦後日本社会は忘れてしまいそうだ。自分たちが命を賭けたもの、それはこの社会では否定されている。そして日本は昔の日本とは異なる国になってしまった。
 自分たちの死は何だったのか…


 そういう無念さを抱いた魂に、「ゴジラ」になって戻ってくる以外のなにができるでしょう。
 そしておそらく、このゴジラには皇居は壊せないでしょうね、永遠に。


 靖国に御霊をあわせて考えるのならば、そこには深い闇がほの見えてくるような気もしています。これについてはゆっくり考えてみたいと思います。

*1:別冊宝島 怪獣学入門』JICC出版、1992、所収