ベルクソンの宗教観

 ベルクソンは人間を特色づけるものとして知性と社会性を考えます。ところがこの知性は死への自覚を人に認識させ、生への意欲を失わせます。また知性自身は個的(利己的)なものであり、社会を維持する方向へは働きません。この二つのネガティブな働きに対応するため、宗教というものが機能するとベルクソンは考えるのです。一つには不可避の死という知性の表象に対抗する自然の自己防衛作用として、また一つには社会の自己防衛反応として、人間にとって宗教が必要であったとするわけです。これがベルクソンの言う「自然宗教」であり静的宗教です。これはとても機能主義的な宗教の捉え方です。
 しかし彼はもう一つの宗教があるとします。それが神秘主義(Le mysticisme)であり、彼はそれを動的宗教と言います。ベルクソンは機能主義的に捉えた静的宗教に発展はないと見てとりました。そして他の動物たちと異なり、この自然の堂々巡りの円環運動を超え出て、自分を乗り越えていく契機が人間にはあると確信しています。その働きを彼は神秘主義の「愛の飛躍(elan d'amour)」による新しい創造というもので語るのです。
(cf. Henri Bergson,"Les deux sources de la morale et de la religion", Quadrige)


 なにか違和感のある説明を某所で見ましたので…備忘です。