仏教の流れ

仏教以前

 古代インドにおいては仏教以前にバラモン(インドの四姓制度の最上位の僧侶)階級を中心に、ヴェーダ経典に基づく自然宗教がありました。今現在あるヒンドゥー教は、およそ紀元前3世紀ごろからこの宗教が他の土着の要素を吸収して変貌しつつ成立したもので、そのヒンドゥー教と区別するため西洋の学者がこの古い宗教にバラモン教(Brahmanism)と命名したのです。(広義のヒンドゥー教はこの古層のバラモン教も含みます)
 インド・アーリア人がインダス河中流域(パンジャブ地方)に進入し、東進していったのがおよそ紀元前1500年頃です。彼らは四姓制度という身分制度を社会の中心に、根本聖典ヴェーダを編纂し多神教であるバラモン教を発達させウパニシャッド哲学を成立させました。
 ウパニシャッドの語義は(梵と我に究極する大宇宙と小宇宙の相応を説く)「秘説(秘儀)」という意味で、古ウパニシャッドと言われる13篇の文献が重要とされます。そこで語られるのは、宇宙の最高原理(ブラフマン:梵)と個体の究極原理(アートマン:我)の関係から宇宙の根本原理を探る試みであり、「梵我一如」という思想が有名です。またそこではすでに「業」「輪廻」「解脱」の思想が仏教に先んじて成立していましたし、それは後のインドの思想・文化の中核となっています。

初期仏教

 仏(buddha)というのは「覚者」の意味で、「真理を悟った人」という用法がインド一般に仏教以前からありました。仏教*1(buddhism)においては開祖シャーキヤムニ(釈迦牟尼釈尊)を指します。
 釈迦というのはゴータマ・シッダールタ(B.C.463-383頃、一説にB.C.566-486頃、南方伝承ではB.C.624-544頃)の属した種族の名前です。彼はシャカ族の王子として生まれましたが、人生の問題に深く悩み、29歳で出家します。彼はバラモンの道を求めず、それを批判して自由な道を選びます。禅定を中心とした6年(または7年)の苦行でも悟れなかった彼は、樹下の沈思瞑想の後35歳で大悟したとされます。この時「覚者」となったことからブッダと呼ばれるのです。

 釈迦の教えは、人間の生きるべき道を明らかにしたのであり、この道をダルマ(dharma 法)と呼んだ。人生の苦しみから脱し、迷いの生存(輪廻)を断ち切って自由の境地に至る。それが解脱であって、涅槃という。そのために、その関係性(縁起)を明らかにしようとした。その実践として、道徳的に悪い行為をせず、生活を清める。それは八正道の実践であり、中道のことでもある。
(岩波『仏教辞典』「釈迦」の項より)

 詳しくは仏教の入門書などでどうぞ(渡辺照宏『仏教』岩波新書など)。こうして成立した仏教は普通「原始仏教」と(最近は根本仏教とも)呼ばれ、釈迦が始めた統一原始教団が入滅後1世紀経って部派に分裂するまで、または紀元前3世紀のアショーカ王時代の頃までの初期の段階として捉えられるものです。(その後、大乗仏教が生まれるまでのものは多くの学派にわかれていたため部派仏教と呼ばれます)

 原始仏教の中心的な教理としては、最初説法で説かれたといわれる四諦八正道・縁起・五蘊の無常苦無我の説や、後になってまとめられたと思われる戒・定・慧・解脱知見の四法の教説などがあげられる。

 原始仏教や部派仏教の時代の仏教は、俗世を捨てて出家し、学問と瞑想に専心して阿羅漢という聖者になることを最高の理想とするものでした。(仏滅後、未来世において弥勒が下生するまでは仏陀は存在しないと考えていたからです)

大乗仏教運動

 ここで紀元前後を中心に仏教の宗教改革とでもいえる革新運動が起きてきます。これが大乗(mahayana)仏教です。大乗仏教は「仏陀」になることを理想とし、自らを菩薩と呼びました。この運動では過去仏未来仏はもちろん、現在でも十方世界に無数の仏陀(=ダルマを体現する者)がいると信じられています。修行の仏教から信仰の仏教への発展であると捉える方もおります。


 この運動の母体となったのは仏塔信仰の信者集団であろうと研究されています。ゴータマ・ブッダが入寂した時、遺体の火葬、遺骨の採集、遺骨を納める塔(ストゥーパ)の建設と供養は在家信者たちによって行われました。そしてここに集い、仏塔を崇拝した信者たちが教団を形成し、それが宗教改革の核となったのです。
 大乗という言い方は「大きな(マハー)・乗り物(ヤーナ)」という言葉から来ていますが、これは従来の部派仏教の出家たちのやり方を「自己の救済に専心するもの」すなわち「小さな(ヒーナ)・乗り物(ヤーナ)」であると批判するスタンスからの言葉です。ですから、現在でも大乗以前の流れの仏教(たとえばスリランカなどの南方仏教)を信ずる人に向かって「あなたは小乗仏教ですね」というと気分を悪くされます。そういうときは「あなたは上座部(Theravada テーラヴァーダ)仏教ですね」と言わなければなりません。


 少なくとも仏教の悟りはトランスとは異なるものと考えられます。そして、仏教で慈悲の強調が始まるのがこの大乗仏教からですので、「愛」だとかいう観点を仏教に見るのは釈迦入寂以降5、6世紀経ってからのことでなければなりません。まあこのぐらいだけでも、冒頭の記述はかなりおかしいとわかると思いますが、もうちょっと続けたいと思います。


 続きはまた明日にでも

*1:仏教という言葉は仏の説いた教えを指し、現代では釈尊を開祖とする宗教の名称ですが、漢訳仏典ではこの意味を表す語として「仏法」や「仏道」が使われています。仏教は「諸仏の教え」ぐらいの意