計量言語学による上古日本語と琉球語(首里方言)の比較

はじめに

 ふと気がつくと民主党沖縄ビジョン【改訂】なるものが巷間熱く取り沙汰されています。要するにこの民主党のビジョンが「沖縄切り離し」であるように見える(危惧される)ということだと理解しています。今のところ私は民主党が「売国」を狙っているなどとは思いません。単にこのビジョンを考えた一部の人を含めて、他の民主党の方々もあまり深く考えていなかったという程度のことであると好意的に解釈しています。


 さて私はこの問題についてid:antonianさんのエントリーを起点に少し見させていただいたのですが、そこからリンクされたnasastar氏のブログ「nasastar@アイルランド」でちょっとおやと引っかかった表現がありました。
 それは8月24日の記事のコメント欄なのですが

# nasastar 『たぶん発想のベースにあるのは。戦前の東京「帝国」大学発祥の言語学とか民俗学、その流れを汲む「日琉同祖論」だと思うけど、これらの言説のもつ「帝国主義」的な方向性は散々指摘され続けているし、ヨーロッパでの最近の言語学の流れだと、アジアの言語と方言の扱い、これも「帝国主義的」バイアスが掛かっていたという反省から、見直しが進んでいるはず。そういう文脈があってなお黴臭い話を持ってくるセンスがよくわからない。』


# 厨 『思いっきり「日琉同祖論は正しかった!」って断言してますよ。mtDNAとか持ち出して。沖縄語と日本語は同じ言語だとか。』

 このコメントの遣り取りは終わっていないかもしれないのですが、投稿コメントの「厨」氏が「沖縄語と日本語は同じ言語」ということに異論を持っていることだけはわかります。そしてnasastar氏が「日琉同祖論」には問題があると思っておられることも…。
 ここでnasastar氏がおっしゃる「ヨーロッパでの最近の言語学」が何を指すのか、また「アジアの言語と方言の扱い」から帝国主義的バイアスを抜けば何が現れるのかについては私にはわかりません。
 ただ、計量比較言語学によって東京方言と首里方言がはっきり「姉妹語」とされているということと、これにより沖縄の言語が今から1700年ほど前に南九州から渡っていった人々によってもたらされたものだと考えられていること(すなわち南方方面から日本に渡ってきた人たちの一部が沖縄に残留したものではないだろうこと)はうかがっておりましたので、ささやかにその部分だけ知るところを書き、「厨」氏のコメントへの反論とさせていただきたいと思います。


 ※以下内容および引用は、安本美典朝鮮語で「万葉集」は解読できない』JICC出版局、1990によります。

比較言語学の方法

 言語どうしの比較をする比較言語学では各々の単語にまず着目し、単語の「意味と発音」の二つが同時に一致するかどうかを調べます。そしてさらに「偶然の一致」を排除するためにつぎのような手つづきをとります。

(1)何万という単語の中から「意味と発音」の似たものをとりだしてくるのではなく、「数詞や身体に関する語」などからなる「基礎語彙」を設定して、その範囲で比較する。
(2)ひとつの単語だけをとりだすのではなく、「いくつかの単語」が「偶然とはいえない」形で一致するかどうかを調べる。

 ある言語Aの単語が別の言語Bによってうまく説明できる場合には、およそ次の三つの場合があります。(1)祖語と子孫語(ex.ラテン語とフランス語、イタリア語、ポルトガル語スペイン語ルーマニア語の関係)。(2)姉妹語(ex.同じ祖語から分かれたフランス語とイタリア語の関係)。(3)借用語…別の言語Bから借りてきた語(ex.日本語の数詞の「イチ、ニ、サン、シ…」は、中国からの借用語。本来の大和ことばは「ヒトツ、フタツ、ミツ、ヨツ…」)。
 上記手続きを取った上で、比較言語学では言語Aと言語Bとの関係が、この(1)〜(3)のどれであるかを調べるのです。


 さらにこの方法を統計的に発展させた計量言語学では、基礎語彙どうしの一致に関して偏差値を出し「二つの言語の近さの度合い」を数値化することができるようになっております。
 ここに出てくる基礎語彙とは、「数詞」、手、口、鼻などの「身体語」、鳥、雲、水(動物・植物・天体)などどのような人類集団でも相当する語を持っているであろう「基礎語」を指します。

 このような基礎語彙は、どの言語でも、時間の経過に対する抵抗力が強い。古い時代の語が、それほど変化せずに残る傾向が強い。


 現在、日本語は多数の漢語、すわなち中国語系のことばを交えている。しかし基礎語彙をとりあげるならば、その中には中国語系のことばは、ほとんど含まれなくなる。このようなことなどから、日本語と中国語とは、同系の言語とはみなされていないのである。

(※測定の方法に関する詳細は、安本美典『日本語の起源を探る』PHP研究所、などでどうぞ)

計量言語学的方法の結果

 上古日本語と首里方言の間の偏差値は24.698でした。偏差値が高ければ、それだけ関係が近いと判断されます。
 フランス語とスペイン語の間でこの値は27.165であり、英語とドイツ語の間では17.385でした。フランス語とスペイン語が分裂したのがおよそ1500年前で、英語とドイツ語が分かれたのが2000年前と考えられますから、ここから上古日本語が首里方言と分かれたのがおよそ1700年前と推測されているわけです。


追記:フランス語とスペイン語より偏差値が低いということは、上古日本語と首里方言が異なる言語と考えてもいいくらい離れているということでもありますね(笑) 確かに友人(沖縄の人)のところへ行っているとき、家の人からかかってきた電話に出る彼の言葉はほんとうにわかりませんでしたけど…。


 ちなみに印欧諸言語間での数値は
 6.807 (英語とスペイン語
 5.179 (英語とフランス語)
 5.692 (ドイツ語とスペイン語
 4.765 (ドイツ語とフランス語)
 3.471 (英語とネパール語
 1.780 (ドイツ語とベンガル語
 などとなっております。


 そして日本語と他言語との比較を言えば
 3.526 (上古日本語とアイヌ語幌別方言)
 2.997 (上古日本語と台湾アヤタル語)
 2.433 (上古日本語とカンボジア語
 2.152 (上古日本語と中国語北京方言)
 1.765 (上古日本語と現代朝鮮語
 1.002 (上古日本語と中期朝鮮語
 となり、
24.698 (上古日本語と首里方言)
 とは比べものにならないぐらいかけ離れていると結論づけざるを得ません。
(付記:もちろん偏差値ですからこれらの数値の差は指数的に離れていきます)


 この結果が「厨」氏の引用コメントに対する反論と、nasastar氏がおっしゃる「日琉同祖論」への傍証となっていると私は思います。

おまけ

 東京方言と首里方言との数詞比較
1 hitotsu  tiitsi
2 hutatsu  taatsi
3 mittsu   miitsi
4 'yottsu  'yuutsi
5 'itsutsu  'itsitsi
6 muttsu   muutsi
7 nanatsu  nanatsi
8 'yattsu  'yaatsi
9 kokonotsu kukunutsi
10 too    tuu
 規則的な音韻変化(tsu → tsi)があるのが認められます。


 東京方言と首里方言との身体語比較
手 te    tii
足 'asi   hwisja
鼻 hana   hana
目 me    mii
口 kut∫i  kut∫i
歯 ha    haa
耳 mimi   mimi
毛 ke    kii
頭 'atama  tsiburu
舌 sita   ∫iba
腹 hara   'wata
背 senaka  nagani
 首里方言の頭を意味する「tsiburu」は、「頭」を意味する「つむり」や「おつむ」などと関係するであろうという推測や、首里方言で「腹」を意味する「'wata」は「内臓」を意味する「はらわた」などの「わた」と関係があるだろうという推測がなされています。


(※沖縄の諸言語と、本土の諸言語の分かれた時期の推測については、安本美典、野崎昭宏『言語の数理』筑摩書房、で詳しく根拠が述べられています)