昨日のついでに(朝鮮語と日本語)

 昭和三十年、フロイトの先駆的な紹介者である医学博士安田徳太郎氏の万葉集の謎』、光文社、が世に出ます。ここで語られたのは「日本語レプチャ語起源説」で、ヒマラヤの谷底に住むレプチャ人の語る言葉が日本語につながり、『万葉集』の歌のほとんどがレプチャ語で解読できる、とするものでした。
 これに対して国語学者金田一春彦氏は「万葉集の謎は英語でも解ける」という批判文を書き、言語学の立場からいかに安田氏の方法がおかしいかを指摘します。

 あの方法でやれば日本語は地球上の何語とでも結びつく。

 このへんで『万葉集』に入るが、まずこのmanyoshuという名が、レプチャ語であるさきに、英語である。最初のmanyの部分は言わずと知れた『多くの』の意味、次のoは英語のodeの略で、『頌歌』のこと、shuはshewで、これは今のshow…ファッションショーのショーの古語だ。とコンサイス英和にも載っている。つまり『たくさんの頌歌の陳列』の意で、巻一あたりに、柿本人麻呂等の宮廷頌歌を集めてあるところから、この名が出たとすることができる。

 この調子で本文を読めば、『万葉集』二十巻は至るところ英語の氾濫だ。
(『文藝春秋』昭和31年7月号)

 この批判の眼目は、二つの言語を比較して「発音(形)が似ていれば関係がある」と未証明の前提で勝手に判断し、片方の語(この場合はレプチャ語)でもうひとつの語(たとえば『万葉集』)を解読するという点にあります。
 ある言語が他の言語によって説明できるという言語学的手続きによる証明がまずなされていなければ、強引な解釈によっていくらでも説明だけなら出来てしまいますから、その行為は無意味になります。ただし一般の読者は、たとえば古代日本語がどんどん他の言語で説明される(ように見える)ことに感激しおもしろがるだけですので、いくら批判されても同じような語源俗解(Volksetymologie)による本が出てきて、ブームが繰り返される…と、昨日紹介いたしました安本氏は嘆かれます。
 同氏の著書から、氏が金田一先生のひそみにならった「こじつけ解釈」(皮肉)をいくつか挙げますと

万葉集は「死者の書 「manyoshu」の「many」は、「多くの」の意味。「os」は、ラテン語からきた英語で、「骨」のこと。「hu」は「who」で、「だれ?」の意味。すなわち『万葉集』は、「累々たる骨はだれのものか?」という意味で、日本の「死者の書」だ。


万葉集は「古代航海についての本」 「man yo shu」の「man」は「人間、男」の意味。「yo」は「yore」で、これが「昔」のことを意味する古語であることは、研究社の『新英和大辞典』にも載っている。さらに「shu」であるが、「集」の字は、むかしは日本語で「シフ」と発音されていた。ところで、日本語の「ハ行子音」が、むかしは「p音」であったことは、東京帝国大学教授であった上田万年が、論文「P音考」を明治末に発表して以来、国語学界の、ほぼ定説になっている。したがって、「シフ」は、むかしは「シプ」であった。これはもちろん英語の「ship」で、船のことである。『万葉集』とは「男たちの昔の船」のことで、古代航海についての本である。つまり、我々の祖先は、むかし、ヨーロッパからはるばる大航海を行って、この日本の地へやってきたのだ。『万葉集』には、この日本人の出自と建国の謎が記されている。『万葉集』の暗号を英語で解くことによって、文学史と日本古代史を根底から覆す衝撃の事実が明らかにされる。
安本美典朝鮮語で「万葉集」は解読できない』JICC出版局、1990)


 安本氏がこの本を書かれたのは、ちょうどその頃「朝鮮語万葉集は解読できる」とかいう類の語源俗解本がある種のブームになっておりまして、「真摯な学者の本がちっとも売れないのに、思いつきのごろあわせ本が売れるのはおかしい」と義憤(笑)に駆られたからです(もちろん氏は真面目に怒ってなどおられませんが…)。


 そして昨日も挙げたデータですが、真面目に計量言語学で上古日本語と現代朝鮮語、中期朝鮮語(ハングルの発明された十五世紀中頃のもの。資料が残っておらずこれ以上遡れない)を比較してみると、


(偏差値)
 27.165 (フランス語とスペイン語
 24.698 (上古日本語と首里方言)
 17.385 (英語とドイツ語)


 …
 6.807 (英語とスペイン語
 5.179 (英語とフランス語)
 5.692 (ドイツ語とスペイン語
 4.765 (ドイツ語とフランス語)
 3.526 (上古日本語とアイヌ語幌別方言)
 3.471 (英語とネパール語
 3.128 (英語とベンガル語
 2.997 (上古日本語と台湾アヤタル語)
 2.663 (フランス語とネパール語
 2.433 (上古日本語とカンボジア語
 2.152 (上古日本語と中国語北京方言)
 1.780 (ドイツ語とベンガル語
 1.765 (上古日本語と現代朝鮮語
 1.002 (上古日本語と中期朝鮮語


 このような結果になっております。もし朝鮮語で上古日本語が説明できるならば、それより明快に北京語でもカンボジア語でも説明できるはずなのです。ですから、朝鮮語万葉集が読める〜などという書籍は、それが何冊出版されていても全く無意味なものだったと言わざるを得ません。
 安本氏は次のようにおっしゃいます…

 読者の中には「それにしても…」と、いう人がいるであろう。朝鮮半島は、日本列島のすぐ隣である。古代の多くの文物は、朝鮮半島から渡ってきた。
 朝鮮語は、日本語と「姉妹語」であること、あるいはそれが日本語の「祖語」に近いことは、もうすでに、言語学者によって証明されているのではないか。はなはだしくは、日本語と朝鮮語とでは、奈良時代には、通訳なしでも話が通じたのではないかと思っている人さえいるようである。
 このような考えは、まったくの誤りである。
 言語学者たちが日本語との比較の対象として、朝鮮語をとりあげないはずがない。そして明治以後、百年にわたる言語学の成果は、朝鮮語が、日本語と意外に遠いことを示している。
朝鮮語と日本語とは『姉妹語』とはいえない。まして朝鮮語は、日本語の『祖語』に近い言語であるとはいえない。奈良時代に通訳なしでも話が通じたようなことはありえない
 最近の言語学の諸成果は、かなりはっきりとこのような結論を下しているのである