落語 「天災」

 この落語、表題が「天災」ですが、これはたとえ話で出てくるものです。噺*1は、短気で喧嘩っぱやい八五郎が、大家さんに隠居の先生のところへ行くように言われたところから始まります。

隠居 …お気が短い。
八  それだぁ。ほめてもらいてえなぁ、他人よりか、ぐっと寸法はつまってるよ。
隠居 そんなことは自慢になりません。それがために、たった一人のおっかさんを打ち打擲をなさるというが、これはよくございませんな。
八  …わかった。いまあっしが持ってきた手紙んなかに書いてあるんだね。隣の家主の擂粉木がそんなこと書きゃがったんだ。もうあのじじい助けちゃおかれねえ。
隠居 あなた、そんな手荒な、腕まくりしたって、おやめなさい。ぇぇそれにつきまして、少々お話がございます。けしてお手間は取らせません。どうぞこちらへ…

 八五郎さん、お母さんをぽかっとやっちゃったらしいですね。それで困った大家さんが知恵者のご隠居のところへ差し向けたというわけです。

隠居 あなたは好んで喧嘩口論をなさるそうで。
八  喧嘩かい?ああやるねえ。めしのあとの腹ごなしに、日に三度ぐらいやらなけりゃぁめしがうまく食えねえ。
隠居 それじゃまるで腹薬だ。しかし、短気は損気ということがある。喧嘩というものは得がいくわけのものでもなかろうと思われますが、いかがかな?
八  冗談言っちゃぁいけねえや。損得をかんげえて、算盤をはじきながら喧嘩するやつがあるもんか。その場ぃいってはじまっちまうんだ…癪にさわるから、我慢ができねえから、ねえっ、命も要らねえとおもえばっ…。

 ただ話の流れを見ると、八五郎さんは短気で口は悪いが気性はまっすぐな人らしいです。心持ちが歪んでいれば、このご隠居の話を黙って聞けるはずがありません。

隠居 『むっとして帰れば門の柳かな』…まぁ、柳のように心をやわらかく持てというのだ。…どうもお前さんには、なかなかおわかり願えないようだから、なにか例をあげて、わかりやすいようにお話しましょう。…たとえば、おまえさんが往来を歩いているとする。どこかの店の小僧さんが水を撒いていて、その水がぱっとおまえさんの着物の裾にかかったとしたら、おまえさん、いったいどうなさる?
八  きまってらぁ、その小僧をとっ捕まえて張り倒さぁ。
隠居 張り倒すったって、相手は十か十一になる頑是ない子供だ。まさかその子供をとらえて、喧嘩口論はなさるまい。あなたは強い江戸っ子、片方は頑是ない子供だ、どうなさる。
八  どうなさるも唐茄子を食うもないよっ。さっきから黙って聞いてりゃ、強い江戸っ子、強い江戸っ子っていやにおだてやがんな。ん畜生め。強いか弱えか、やってみねえうちはわからねえ…ここでひとつ、かみあうかい?
隠居 いや、もう、それには及びません…どうなさる?
八  どうなさるったって、考えてごらんないよ。ねぇ、十や十一んなる餓鬼がね、おもてに所帯持ってるはずぁねえでしょう。いずれそれにぁ飼い主があるでしょう?
隠居 飼い主?
八  ええ。その小僧を店へ引っ張ってって…やいっ、こん畜生めっ、なんだっててめえんとこじゃあ、こんな間抜けな小僧を飼っておきゃぁがんだ。少しぐれえ作法知んねくてもいいからな、もっとはっきりしたもんと取っ替えろって言うね、あっしぁ。

 ここに出てくる八五郎さん、気が短いというかとにかく他人へ文句をつけるのに長けております。まあいつの時代もこのての人は少なからずいるんですが。

隠居 …一里四方もあろうとおもわれるような広い原なかへ、あなたさまが用足しの戻りに通りあわしたとおぼしめせ。
八  ああ。
隠居 …いままで晴れ晴れとしておった空が、一天にわかにかき曇ると見る間に、盥の水をあけたような大降りになる…お困りでしょう…どうなさる?
八  どうするったって、雨降ったら傘ぁ…
隠居 いや、あいにくと、傘の持ちあわせのないときは、どうなさる?
八  か、傘がねえんですかい? 傘がなけりゃぁあっしぁどっかのうちぃ転がりこんじまうね。
隠居 その原なかに、雨を凌ぐ家がなかったら、どうなさる?
八  家がねえ? 家がねえのかい? 家がねえてえのは困るね…おまえさん、いまどしゃ降りの最中に建前をしたって、なかなか出来あがらねえから、家がねえてえのぁ…いや、いいことを考えたよ。こんもりした木の下ぃいってね、腕組みをして、あっしぁ雨がやむのを待ってるよ。葉ぁ繁んでるってえと、下まで透さねえ。
隠居 雨を凌ぐような立木がなかったら、どうなさる?
八  おまえさん、いまなんてった? おい、一里四方の原だって…そんな広い原があるなら、木がおっ立ってたって邪魔にゃぁなるめえ。
隠居 邪魔にはなりますまい。しかしお話の順序として、この原には木を植えることはできません。
八  だからさ、木がいけなけりゃぁ、家を一軒…
隠居 それはだめ。
八  だめ? だめってえと、許可にならねえのか…じゃあ、しょうがねえから傘を一本…
隠居 いかん。
八  なんでえ、なんでえっ。そのいかんてえのぁ。おまえさんに傘を買ってくれってんじゃないよ。 いいかい? おい。傘をったら、いかんてやがる。さっきから聞いてりゃね、家を建てちゃいけねえ、木を立てちゃいけなえ。おまえさんてえものは、この原の持ち主かい? おいっ、言いたくなろうじゃねえか、ふざけやがって。…てえげえにしやがれってんで、着物の裾ひんまくって駆け出してやらあ。
隠居 駆け出しても濡れましょう。
八  ええいっ、それぁいい心持ちに濡れるね。
隠居 あなたいまなんとおっしゃった? たったいま、頑是ない子供に着物の裾に水をかけられても腹が立つとおっしゃったのはあなたですぞ。全身濡れ鼠のごとくになれば、それだけ余計、腹も立つ道理だが、天から降った雨に濡れたのは、誰を相手に喧嘩をなさる? …黙っておっちゃわかりませんな。 誰を相手に喧嘩をしますか、もし… おいっ!
八  な、なんだい、おい。気合をかけちゃいけないよ。いまぁかんげえてんだい、その相手をね…相手てえのぁ…ぴかだからね。
隠居 ぴか?
八  あぁ、あっしぁ黙ってねえや…やい、このすっとこ天道ぅ。
隠居 すっとこ天道はおもしろい。
八  おもしろがってちゃいけねえ、これからだよ、むずかしくなるのぁ。 喧嘩ってえものぁ、こっちでなんか言って、向こうでなんか言い返すからはずみがつくんだろ? 一人じゃくたぶれちまうよ、ええ? 喧嘩だの大掃除なんてのぁ一人でやれないもんだよ、ありゃねぇ。飽きちまうよ。こんちはっったって黙ってやがる。降りて来いったって来やしねえ。この野郎って、なんか投げたって届かねえしねぇ。 …しょうがねえ。
隠居 しょうがない、いたしかたがないと、あきらめがつきますか?
八  つかしっちゃいます。
隠居 さ、そこだっ
八  え? どこだい?
隠居 捜しちゃぁいけない…これがすなわち堪忍という心持ち。『堪忍のなる堪忍か、ならぬ堪忍するが堪忍』『堪忍の袋をつねに胸にかけ、破れたら縫え破れたら縫え』東照神君家康公の申されたことだそうだ。『手折らるる人に薫るや梅の花』『気に入らぬ風もあろうに柳かな』『憎むとも憎み返すな憎まれて、憎み憎まれ果てしなければ』『負けて退く、人を弱きと侮るな、知恵の力の強き故なりーぃ』
八  チーン
隠居 お経とまちがえちゃあしょうがないな…

 一つの寓話として…。

*1:引用元の明記を忘れておりました。麻生芳伸編『落語百選・秋』現代教養文庫、1980からの引用でした