異端の系譜(日蓮宗不受布施派)

 仏教で異端といえば提婆達多(Devadatta)がまず思い出されるでしょう。彼は仏弟子阿難の兄とも釈尊のいとこともいわれる人で、釈尊に従って出家するのですが後にサンガの分派活動をし、仏教教団からは三逆(出仏身血・殺阿羅漢・破和合僧)を犯した悪人と言われています。しかし彼の衆徒が「提婆の徒」として後世まで存続したことは7世紀の玄奘三蔵が伝えていますし、律蔵にも彼が独自の五種法を定めて衆徒を率いたことが述べられていますので、やはり彼の活動は教団内で異端となっての分派だったと考えられるでしょう。
 なにより小説ではありますが私は中勘助の『提婆達多』(岩波文庫)に非常に感動いたしました。これは「激しい憎しみと嫉妬から仏陀に挑み続ける提婆達多の姿を通し我執の生みだす悲劇を描く」(帯)もので、悟っていない私もまた独りの提婆達多なのだなと思い切り感じさせられました。そして作品の最後に

 もしそこに我々に救があるならば、提婆達多こそまことに救われるであろう。提婆達多が救われずば、我々の誰が救われるであろうか。

 の一言が静かな叫びのように付け加えられているのを見たときには、涙が流れて止まりませんでした。


 後の仏教(特に大乗)は、他の宗教に比べてもかなり異説・異端には寛容であったと思います。仏教が自らを変えていくことにより発展したということもそこに関わっていたでしょう。ここで挙げる日蓮宗不受布施派も必ずしも異端という範疇には入らないようにも思われます。しかし権力に弾圧され、それでも信仰を枉げなかったその姿は日本の仏教の中でも特異なあり方をしていたと見えるのです。


 私が「不受布施派」の名前を最初に知ったのは、中学の時に半村良の『妖星伝』を読んだときです。(当時の中学生には刺激が強すぎたかもしれませんが 笑)布施を一切受けとらないということで江戸幕府に弾圧されている…そんなのあるわけない、これもフィクションでしょうと、その時は思いました。しかしその後日蓮宗不受布施派の寺の息子だという人と知り合いになりましたし、調べてみれば確かに存在していました。これはかなりの驚きでした。


 中世末ごろまで、日蓮を宗祖とする教団は法華宗と呼ばれていました*1。その法華宗には、同宗の僧は他宗の信者の布施供養を受けてはならず、信者は他宗の僧に供養してはならないとする制誡がありました。これを不受布施と言います。これは法華信仰の純正を守るため、日蓮以来いましめられてきた信条でした。ただ現状に合わせて、公家・武家よりの施与は不受布施の対象とならない(公武除外の不受布施)という抜け道もありました。
 ですが室町中期の頃になると「日蓮宗伝統の正義」を守ろうという声も高くなり、公武の施であっても民のものと同等であり、その信不信を問うべきという原理主義的な主張も半ばを占めるようになります。そんなとき…

 文禄4(1595)年、豊臣秀吉が先祖菩提のために千僧供養を催し、各宗の僧を招いたときに、日蓮宗妙覚寺日奥が出席すべきでないことを主張し、徳川家康に公命違背として対馬に流された。慶長17(1612)年に赦されて戻ったが、寛文(1665)五年、江戸幕府は不受布施義を禁止し、僧俗は地下に潜行して宗命をついだ。この秘密教団を「不受布施派」といい、幾多の弾圧・迫害に耐えて明治維新を迎えたのである。
(岩波『仏教辞典』)


 葬式仏教と誹謗され、お金に必ずしもきれいではないというイメージも持たれている日本の仏教教団ですが、信仰の純粋な伝統を貫いて未信者の布施を頑強に拒否するという、そういう一派がいたことはかなりイメージを変えさせられました。でもお金ぐらいもらっといたらいいのに、という気がしないでもありません。さらにそれが禁圧され地下に潜行するのに十分な理由かと聞かれると、若干首をかしげることかも…。


 そうは言ってもいろいろな当時の経緯があったことでしょう。ボタンの掛け違えも。また原理主義というのは熱狂的に人を動かす時がありますし、なにより日蓮宗ですから祖師日蓮の受けた弾圧に自らをなぞらえるような信仰の高揚もあったのかもしれません。それにしても激しい信心です。隠れ切支丹とはまた意味が違うようですし…。


 現在日蓮の流れを引く法華の教団は、日蓮宗(本門流、陣門流、真門流)の他に、日蓮正宗顕本法華宗、本門法華宗日蓮本宗日蓮宗不受布施派、本門仏立宗などなどが並立しています。今の彼らに原理主義的に他宗排斥の感じはもちろん受けませんが、それでも法華は激しい信仰という感じを時折見せるようにも思われます。
 宗教的寛容というものを私は支持しますが、それは時に信仰の弱まり、世俗化ということも意味するでしょう。ここには明らかに近代の宗教のダブルバインド状況があると考えられます。
 不受布施派の主張は考えられない、と思うのと同時にその信仰の純粋さに心惹かれないでもないことをここで告白いたします。これはすべての宗教の原理主義的主張が持つ魅力と同じものなのかもしれませんが…。

*1:天台宗から異議が出たために、天台法華宗と区別して日蓮法華宗と称するようになる。近代になっては、特に身延山久遠寺を総本山とする宗教法人を日蓮宗と称するが、一般に日蓮を宗祖とする教団を日蓮宗とも言う