宗教右派(Religious Right)

 宗教と一括りにして何をイメージするかは人によって異なると思いますが、そこに右派とかいう言葉(尺度)をつけても何か宗教的に新しいことが語られているわけではありません。このReligious Rightという言葉は「政治的」に使われる言葉であり「アメリカ」の政治状況という文脈がなければほとんど意味をなさないものです。ですから、seijotcp@成城トランスカレッジ氏が「日本にも宗教右派があるって、どれくらい知られてる?」と書かれたようなものは、はっきりおかしいと考えています。


 わりに最近聞くようになったこの宗教右派(Religious Right)という言葉は、明確な定義があまり語られることがありません。そしてその用例のほとんどが「反ブッシュ」といった文脈を離れるものではなく、いわゆるアメリカのリベラル層がブッシュ支持者のある部分(の傾向)に対しラベリングしている言葉以上のものではないと私には思えます。ネオ・コンサバティブとかいうラベルと(重なりはしませんが)似たような使い方でしょう。この語自体は宗教用語ではなく、あくまで政治的言辞なのです。


 宗教の用語としてこれに概ね重なっている言葉は原理主義根本主義(Fundamentalism)と言われるものだと思いますが、これもすでにかなり政治的に使われるものとなっています。もともとこれはアメリカのクリスチャンの一部を指す言葉で、後にイスラム原理主義というように他宗教を語るときにも転用されますが、何も冠さなければ「進化説を否定するような、聖書の字句を教条的に信じる正統派キリスト教」を指します。
 また福音主義者(Evangelical)という言葉ともかなり重なっているでしょう。アメリカのプロテスタント正統派の名称です*1福音派プロテスタントアメリカの人口の25%から30%を占めると言われている多数派です。
 論者によっては宗教右派のコアの部分をクリスチャン・コアリション(福音派ファンダメンタリストの中核をなす人たちの呼称)と呼んだり、クリスチャン・シオニスト(ハルマゲドンが間もなくやってくると信じるキリスト教の一派)がそこにいると語ったりもします。またよく言われるのがテレバンジェリスト(Televangelist)(テレビ伝道を行う福音派の伝道師)に熱狂する層との重なりでもあります。


 東京新聞記者の田原牧氏は宗教右派を「アングロ・サクソンが一番であるという優位思想にたった聖書に基づく宗教原理主義」としますが、このように人種的優位思想まで読み込むのは違うと思います。アフロ・アメリカンにも宗教右派と呼ばれるような団体「ファミリー・リサーチ・カウンシル」のメンバーが多数存在しますし、彼らが一番だと思っているのはアメリカという国家そのものだと考えられるからです。
 その意味ではこちらのサイトで三宅善信氏がまとめられている「宗教的右派勢力の三つの目標」というものが、かなりその姿を明らかにしてくれていると思います。

1) 「Humanism批判」:日本にでは、ヒューマニズムは「良い意味」で使われるが、アメリカのコンテキストでは、「人間中心主義」であるヒューマニズムは、全ての事象を「神抜き」で説明してしまうので、ネガティブな意味に取られる(リベラルと同様)。地域の公選制である教育委員職を奪取して、公教育の場において進化論を批判し、公立学校での祈祷(聖書の朗読)の時間を復活させるのが目的。
2) 「Pro-family」:「伝統的な家族のあり方」を大切にする。男女同権には反対。なぜなら、男女同権を認めると、同性愛者が夫婦になることを拒絶できなくなるから。
3) アメリカ至上主義」アメリカ=神の側、神意を実現する国。ソ連(中国でもイランでも日本でもいい。ともかくアメリカに楯突く国)=サタンの側。これをやっつける。


 宗教右派という捉え方が要請されたのは、1970年代の後半から、古き良きアメリカの価値というものの復興を願い、ゲイ・リブやウィメンズ・リブなどのカウンター・カルチャーに寛容なリベラルに反対する人たちが政治的に動き始めたことに由来すると思われます。たとえばその先駆的な動きは「モラル・マジョリティー」(レーガン政権を支えたとされる'78年に結成した団体)に見られます。リベラルの側が彼らを理解するキーワードとして宗教的価値観に着目し、またその復古的(保守的)志向を自分たちと相反するものと捉えたため、それを「宗教右派」と名付けたのでしょう。リベラルサイドからのネーミングであるせいか、宗教右派という呼び方で彼らを呼ぶときに、それを肯定的に捉えて語るところはあまり見られません。日本においてもそれに似た流れがあり、上記三宅氏のサイトにしてもそうです。そして時に揶揄するような文脈で「モンキー裁判」の一件も語られます。ですが、宗教的にはほとんど世俗化している日本から高見の見物的にからかいの言葉を投げかけてもみっともないだけでしょう。
 なにより現にアメリカで一定の政治的勢力となっているものを、単にラベリングして無視できるでしょうか?そして「アメリカは単なる世俗的な国家ではない」という言説もアメリカ研究者がよく口にする言葉です。そうした宗教性は笑い事ではなく、付き合いの深い私たち日本人はその点もあわせて考えなければアメリカを理解したりきちんと関係を持っていくことは難しいものと考えます。せめてこのReligious Rightというものを、日本人だからこそ中立的に考えてみる必要があるでしょう。


 さて冒頭で少し触れたseijotcp氏の「日本にも宗教右派があるって、どれくらい知られてる?」という記事ですが、ここまでの話を読んでいただければ説明するまでもなく捉え方がおかしいとわかっていただけるものと思います。わりにクリアな議論をなさる方だと思っていたのですが、カルト宗教である統一協会(そして勝共連合)と日本の右派勢力との関わりだけを以って「日本にも宗教右派がある」ということを言うのは的外れではないでしょうか。「政治的」な側面や「アメリカ」という状況抜きで宗教右派(Religious Right)を語ることはできないと私は思います。


 確かにティム・ラヘイなどの存在を介して統一協会アメリカの宗教右派人脈にも関わっていると思われます。しかし何より統一協会は独自のカルト(セクト)として日本で活動しているのですから、それを叩くのに「宗教右派」を持ってくるのは全く不必要なことでしょう。
 最近、勝手な意味づけで(主にリベラリズムの反対勢力ぐらいの意味で)日本の文脈で宗教右派というものを語る方を数人見かけました。それはどうかなと思いましたので、一通り書いてみました。アメリカ研究ご専門の方からすれば不十分かと思いますが、おかしなところがあればご指摘くださるようお願いいたします。


※蛇足ですが、私はジェンダーフリーやIDに関しては中立ですし、カルトに対しては非常に否定的です。上記議論は何かの「ためにする」ものではないつもりでおります。もっとも、政治的には現時点でリベラルを名乗る者ではありません(笑)。(結構心情リベラルだと自分では思うのですが…)

*1:イギリスの低教会派やドイツのルーテル教会信徒も指しますが、この文脈では関わりません