小泉首相の参拝が見せたもの

 昨日の小泉首相靖国参拝をどう評価するかには諸論あるでしょうが、私は彼が政治家としての配慮を示した参拝をしたと思いました。何に最も配慮したかというと、実は先月末の大阪高裁判決だったと考えます。 その前日の東京高裁判決で言われたように「私人としての参拝」なのだからとむきになって従来のように参拝することをせず、彼が見せたものは「わかり易い私的参拝」だったのではないでしょうか?
 もちろん昨年までも決して公的参拝と言えるものではありませんでした。「内閣総理大臣としての資格で」などという談話を発表して参拝した中曽根氏が何を意図していたかはわかりませんが、国としての靖国護持が行われていたわけでは決してなく、首相の参拝は護持派・中止派双方に象徴的に解釈されていただけの個人の参拝だったと私は考えています。 そもそも議会制民主主義の国で、首相の個人的判断だけで「国が特別扱いする宗教」が決められるはずもありません。それができるなら議会など無意味で、ずっと前から日本は独裁制だったのでしょう。全く気付きませんでしたが(苦笑)


 一部で首相の今回の参拝スタイルを「外交的配慮」と解説している向きもありますが、たとえば特定アジア諸国への配慮をするとすれば「不参拝」以外にないというのは明らかだったのではないでしょうか? 今回の参拝後にその首相の配慮というのをそれらの国々が評価したでしょうか? 全く問題にならなかったのではありませんか? だいたい靖国に位牌があるなどという妙な誤解を抱き続けるような国々に、参拝の細かな条件で違いがアピールできようはずもありません。私は小泉首相にそれがわからなかったはずがないと考えます。ですから次の記事などは全くの読み違い(あるいは願望の表出)に思われます。


 靖国参拝:ポケットからさい銭…簡素に 小泉首相

 ポケットからさい銭を出し、手を合わせる小泉純一郎首相。首相として5度目、福岡地裁、大阪高裁の違憲判断後初となった17日の靖国参拝は、簡素なものとなった。周辺諸国への配慮からか、礼装ではなくグレーのスーツに水色のネクタイ姿。本殿には進まず、拝殿だけで神社を後にした。(後略)


 それでは小泉氏が配慮したのは何かというと、私にはやはり「首相の靖国参拝に対する違憲という判断」だったと思えます。ある意味今回の参拝スタイルは、その解釈に対する挑戦のような行為だったのかもしれません。
 首相の靖国神社参拝の是非を論ずるのは、結局は内政問題でしかありません(だからこそ中韓が口を挟むのはお門違いも甚だしいと思っておりますが)。小泉氏もそれは明確に意識されていたでしょう。そしてそれが内政問題だからこそ「憲法違反」の誹りは早く挽回返上しておかねばならないのです。大阪高裁の裁判官による強引な判断ではありましたが、印象操作的意味合いは(原告が意図したように)それなりに持っております。それゆえ今回小泉氏が選んだのが「わかり易い私的参拝」の形だったのです。


 本来、昇殿参拝にせよ私費での玉串料の奉納にせよ何も特別の参拝方法ではありません。服装に気をつけるのも参拝対象に対する敬意の表明であり、社会的地位のある者が昇殿するならば普通のことともいえます。また参拝に脇から車で乗りつけるのも、セキュリティーの要請ということもありましょうし、普通に正面から来られる一般の参拝者の邪魔にならないようにという配慮でもあったでしょう。
 それを敢えて殊更「普通の格好で」「正面から歩いて」「昇殿せずに拝殿の前で」「ポケットから出したお金を賽銭箱に入れて」という形での一般の参拝と同じようにしてみせたのは、やはり大阪高裁の意見を意識した行為であり、ある意味それへの配慮、そしてある意味「これでもまだ私的参拝ではないとあなたは言えるのですか?」と突きつけた反論だったのだと思われます。


 氏の参拝は「思想・信条の自由」「信教の自由」を再考させてくれた行為だったと思います。彼の意図とは「ずれ」があるでしょうが…。内面の自由は基本的人権の中でも欠かすことのできない重要な位置にあると思います。そしてそれが日本国憲法で保証するものであるならば、総理大臣という人間にも与えられるべきです。彼もまた一国民なのですから。
 私は一宗教法人たる靖国神社が、反社会的行動をしたわけでもないのに教義に絡んだことまで問題視されることや、職業や地位によって信仰の表明に差し障りが出るなどということ(年一回の参拝であることも想起してください)、そして他国の宗教や信仰にどこかの国が容喙してくるということには大いに反対ですから、その反対のデモンストレーションとして今回の靖国参拝には賛成いたします。


 それでも小泉首相はやはり良くも悪くも政治家です。彼の「配慮」や「両睨み」の行動は、むしろ首相の公的靖国参拝を望む人たちには心の底からは賛成できないものかもしれません。また靖国参拝中止を望む人たちにも不満は残るでしょう。結果論としては賛意を表す私などにとっても、今ひとつすっきりしないところもあります。
 しかしそれはどちらかを完全に満足させ、どちらかを完全に不満にさせるということを避ける政治家の本能のようなものでしょう。またその制約の中では悪くない選択を採るだけの力量はある方だと思っています。そして、少なくとも小泉氏は「ぶれ」の少ない政治家です(政治的立ち位置のぶれが政治生命に関わってくることをご存知の方だと私は思います)。最小最大公約数的な解の一つを今回も見つけて行動されたと、そう考えて差し上げてもいいのではないでしょうか?
 こういう立ち回りは、靖国に特別の信を置くものではない一般の人の利にも(結果的に)なっていくと私は信じております。そういう意味で小泉氏の参拝は評価できると思っています。