自由主義と民主主義と保守主義

 先日の小泉首相靖国参拝に絡んで、drmccoyさんが興味深いエントリーを書かれています。

 首相が靖国神社に参拝することに賛成の人にも、いろんな考え方に基づいて賛成する人がいる。首相本人が「靖国神社に参拝したい」と言った場合には、おおまかに考えて3種類の人々からの賛成が考えられる。「自由主義者」「民主主義者」「保守主義者」である。首相の参拝に「絶対反対」するのは、これらのいずれにもあてはまらない人々である。

 それぞれの定義などは上記記事のところをご覧いただくとして、この面白い考察に乗れば、私は保守主義者ではありませんね。やはりそこらへんはマッコイさんと私とには違いがあります。
 私は最初期から靖国問題を適当に扱うのは信教の自由を脅かすものだという主張を持っておりました。4月26日の日記から再掲しますと。

A3 公式参拝だとか、私人としての参拝だとか、公私を明らかにしない参拝だとか、近隣諸国の感情を考えて参拝を中止するとか、8月の参拝をやめるとか…政府要人とか言われている人たちは、問題を複雑にするかのように訳のわからない言い訳を言いつづけて来ました。これが大問題になった原因の一つです。


 私は国家神道はすでに歴史的存在としてのみ存在すると思っております。憲法改正(悪)が無い限り復活はありえません。と思うので、政府関係者だろうが誰だろうが「公費の支出」を伴なわずにどこへ参拝するのにも反対はしません。(中略)


A4 むしろ外圧を受け入れて、国が信仰に介入することこそが「危ない事」だと思います。一宗教法人に対し、日本国家が祭神をはずせと介入するのが正しい事でしょうか?まして他国の宗教の信仰の内容に容喙しようとする態度が真っ当なものかどうか、考えればわかると思います。私自身は(個人的な関わりがないので)靖国は崇敬しておりません。いやなら無視するのが当たり前ではないでしょうか?


 政府が制度的に国家神道を復活させようとするなら私は真っ先に反対しますが、単に彼らが崇敬し参拝するからといって、それを問題視することはできません。


Q 信仰の自由の絡みでの意見ですか?


A そうです。 靖国は一宗教法人であり公共のものではありません。日本国憲法の思想・信条・信教の自由等々の主眼は、誰も個人の内面に手出しできないということです。誰が誰を英雄視しようが、他者に強制するものでなければそれは各自の自由です。(ちなみに安重根をテロリストとしようが英雄としようが、他国の方をどうのこうの言うべきでないのはあたり前ですよね。)


 公務員にだって信仰の自由はあります。だから余計なことを言わずに、公費の支出を伴うと言われるのだったら電車とかバスに乗って、各自の信仰として参拝すればよいだろうものを、ぐだぐだ言うからおかしなことになるのです。(後ろめたい事ほんとに考えているのかと邪推されるだけなのに…)


  宗教に対する国家の介入をこそ私は危惧します。

 ということで、私はマッコイさんの区分でいきますと「自由主義」にあたるでしょうか。どこかで申したことがありますが、私はかなり強い「宗教リベラル」です。


 もちろん彼が指摘する三つの範疇は実際には強弱もあれば重なりもあるでしょう。しかしこの着想の面白いところは、小泉氏の靖国参拝に反対する方々に、今一度自分のスタンスの再考を促すというところです。つまりその主張は部分的にせよ「自由主義」や「民主主義」までも否定するものなのではないか、という気付きがあるということですね。このお話に正面から異議を唱える「反対派」論者がでることを期待して(わくわくして)おります。