特殊学級の改称

 障碍を持つ児童を区別無く通常の学校・教室で学ばせるべきか。これには関係者の間でも賛否あるとうかがっておりますし、障碍の度合いやどこに障碍を持つか、「普通」の子と一緒に学ばせたいという気持ちや「特別」な配慮を与えて欲しいという願い、さまざまな背景や事情が関わってくることと思います。
 児童が身体的障碍を持つ場合、安全へのケアや特殊な技能教育の必要性も含めて、受け入れ側のコストとそれを支える支援の程度などが心情という次元とは別に厳しく状況を規定するという場合もしばしばでしょう。
 また障碍が知的側面であった場合上記コスト的にはある程度軽減されてくるだけに、むしろ児童側・受け入れ側ともに判断に悩む局面も多いのではないかと考えます。


 小学校時代のクラスに一人、いわゆる特殊学級相当の(そう先生に聞いた)子がおりました。ただ私の小学校ではその子も通常の学級に入り、なんとなく普通にやっていました。特別にいじめられることもなかったです。すごく親しい友達ができるという風でもありませんでしたが。今思うと、学習能力はほとんどなかったものの人間関係で特別な問題を抱えるわけではないその子一人のためにクラスを一つ作る余裕がなかったのかもしれませんし、あるいは何か他の配慮が働いていたのかもしれません。いずれにせよ小学生の私たちは「そういう子もいる」ぐらいの感じで受け止めているだけでした。
 五年生ぐらいの時、突然その子がうちに遊びにきました。約束があったわけでもなく少々驚いたのですが、断る理由も無く一緒に遊びました。その子は機嫌よく帰っていきましたが、次の日からの学校でも今まで通りの周囲との関係で、私とだけ特別親しい様子を見せるでもありませんでした。そうやってふらっと遊びに来ることが小学校卒業までに4、5回ありました。その子が他の同級生のところに遊びにいったと言うことは知る限りなかったようです。学校で一緒に遊んだりはしますが、放課後にその子と約束して遊ぶというのは、私も含めて誰もいなかったのではなかったかと。
 思えば皆微妙な距離のとり方をその子に対してしていたのかもしれません。そして私との間合いが、時々他の間合いよりも近くなった(と感じられた)りしていたのかも。その子は4年の頃に転校してきました。最初の頃こそ「事情がある子だから配慮しましょう」的なことを言われた覚えもありますが、高学年の頃の担任の先生はほとんどそういうことを言わず(と申しますか、有体に言えばたまたまやる気の無い先生だったのです 笑)、その子に対して「特別優しく接してあげなければならない」というような妙な気遣いは誰もしていなかったように憶えております。
 周りの対応がその子にとってベストだったかどうかわかりません。ただ、指導されて、気を遣って「友達になってあげる」よりも、何となくそこにいるというポジションで、そしてたまに遊びに行けば遊べるぐらいのところで、その子はその子なりに居場所を作っていたのかもしれません。何とも奇妙な手触りで、今も記憶に残る交流です。


 さて昨日の朝日新聞の記事
 小中学校の特殊学級、改称し存続 学校教育法改正案

 文部科学省が今月召集の通常国会に提出する学校教育法改正案の骨格がわかった。存廃が論議になってきた小中学校の特殊学級は、存続を保護者らが望んでいることに配慮し、07年度をめどに「特別支援学級」と名称を変えて残す。盲・ろう・養護学校は複数の障害に対応する「特別支援学校」に改める。また法改正と併せて文科省は省令を改正し、学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)などの子供についても適切な指導が受けられる仕組みづくりをめざす。


 この法改正により、47年の同法制定以来60年近く使われてきた「特殊教育」の用語は法令から姿を消す。今後は障害のある子供の自立や社会参加への取り組みを支える「特別支援教育」に名実ともに転換する。


 一般に特殊学級には養護学校などよりも障害が軽い子供たちが在籍しているが、重い障害がある子供も中にはいる。そうした子供にとっては学ぶ場を固定して指導を受けた方がいいとして、特殊学級の存続を望む声があり、中央教育審議会などで存廃をめぐり論議になっていた。


 こうした経緯を踏まえて文科省は今回の法改正にあたり、固定式の学級を廃止することは見送り、「特別支援学級」に名称を改めて存続させることにした。
(以下略)

 これを読んで「特殊学級」というものを思い出したわけですが、特別扱いがいいのか、普通扱いがいいのか、いまだに私にはどちらとも言い難いところがあります。報道の事実だけを頭に入れるという具合でした。


 ただ一つだけちょっとひっかかったのは、「特殊」>「特別支援」の言い換えです。名称を変えたって大した意味があるわけじゃないのに…とは思ってしまいます。


 制度として知的障碍を捉える語ができたのは、近代社会になってからと伺っております。まず現れたのが「白痴」なる語で、その後「痴愚」・「魯鈍(軽愚)」と分類が増えます。(日本に「白痴」という言葉が現れるのは明治19年ともされますが、これは近代文明の移入とともにidiotの訳語として現れたようです)


 注意すべきなのは、これらの語が最初に現れたのは知的障碍を抱える人たちの扱い、またそれらの障碍を持つ児童の教育というものが真剣に考えられたためだったからという側面です。分類し定義づけられなければ、制度として特別なケアはできなかったからだと思います。
 しかしながら、たとえば「白痴」や「魯鈍」が偏見にみちた侮蔑語になったからというのでそれを「精神薄弱」と言い換え、また「精薄」が差別語になってきたからとそれを「知恵遅れの人たち」と言い換え、さらにそこにいやなニュアンスがあるからと「知的障害者」になり(これは私も使っております)、この言い換えのイタチごっこは終わりを知らないのではないかと思えます。


 「特別支援学校」なる言い方がポリティカル・コレクトネス的発想に基づくものならば、結局はこの語もそう遠くないうちに色がついて使えないものになってしまうんじゃないかと、そんな暗澹たる気持ちがちょっと湧きました。