ちょっと補遺
単純に上記辞典で出てくる「帰属」という過程を遂行することを宮台氏が「帰属処理」と言っていると考えるのが穏当なのでしょうが、それならば「内的帰属」はどこにいったの?という話にもなり、あえて「帰属処理」というタームがあるとしてそれを考えているわけです(帰属処理というタームに外的帰属の遂行の処理だけをするという特別な意味があるという場合も考えられますから)。
それと、何でこんなことを書き流すのかなと思ってしまったのは、宮台氏の『これが答えだ』の引用の
かつての未開な共同体では、疫病が起こったり不具が生まれたりすると、生け贄を捧げるなどの儀式をして、問題を「聖なる領域」に囲い込み、皆で安心するという操作がありました。僕たちの複雑な社会にも、実は似たような機能を持った操作があります。
この部分ですね。これは学問的レベルの記述じゃないです。思い付きを書いているに等しいと思います。書き殴りレベルでしょう。
嘘にしてももうちょっと書き様があります。「未開」という書き方からしてあれですが、そのかつての社会において「聖」が「俗」から隔絶した棚上げの場所であったというのは、おそらく現代からの粗雑な類推でしかないでしょう。むしろ「聖」の存在が生の中心におかれていたのではないか、というのが宗教学的見方なのですが…。