射水市立病院問題2

 安楽死尊厳死の問題は、プライバシー権すなわち自己決定権をどこまで重視するかという問題でもあります。ここで自己決定権と出てきたからと言って、短絡的にネオリベ批判とかあたりに議論を持っていかないで欲しいのですが(笑)、「対応能力」というタームがここでの一つの鍵になると思います。

対応能力を持つ(competent)患者と持たない患者

 対応能力を持つとは「自分を意識でき、理性的に状況を判断でき、応答できる」(他人からの評価に関心を持つ、知的道徳的判断力がある)ということとされます。 アメリカにおいてはこの「対応能力」の有無で、患者の自己決定権が優先されるか医師の治療方針が優先されるかという分岐が考えられている事例が多いのですが、ことはそれほど単純とも言えません。事例を見ながら各々のケースで何が判断されていたかを考えてみます*1


事例1

 エイブ・パールマッター(73歳)は筋萎縮性側索硬化症(別名ルー・ゲーリック病)に苦しみ、治療方法はない。呼吸装置を用いていても死は間近い。しかし彼の精神的知的能力は働いており、十分の対応能力を持つ。彼は家族(扶養義務のある未成年者はいない)の承認をとった上で自ら装置をはずすが、医師に阻まれる。そこで裁判所に嘆願し、一審(1978)、フロリダ州不服申立てによる控訴審(1978)、上告審(1980)のいずれも患者側の要求を認めた。原審判決は、彼のプライバシー権の行使に病院側は制限されるとし、上級審もこれを追認した。
 控訴し上告した州当局の言い分は、装置撤去は医師の生命維持義務を踏みつけにし、医療の中止は殺人(故殺)に当たる犯罪である、とするものである。病院と医師の側は、患者の願いを容れて機械装置の撤去に関与すれば刑事訴追を受けることにならないかを懼れ、さらに法的賠償責任を負わされることを危惧した。それに対し裁定は、対応能力を持つ成人患者の治療に係る自己決定権を終始尊重した

 これは極めてわかり易い例です。患者の理性に問題は無いように見えますし、避けがたい死および苦痛が明らかにあるものだからです。このような判例を基に、対応能力のある者の治療における自己決定権優先という方向が定まって行きました。


事例2

 エリザベス・ブービア(28歳)は生来の脳性麻痺のため、ベッドに寝たきりで寝返りもできず、食事洗面から排泄まで他人の世話を受けている。しかも退行性関節炎に罹り、断続的な痛みを胸部からのモルヒネ注入で軽減させているが肉体的苦痛と不快感はとれない。彼女は対応能力を持つ女性であるが、病院側は流動食による栄養では不十分と判断し、彼女の意志に反して鼻腔チューブを付けた。自由意志によらぬ強制栄養(involuntary forced feeding)である。彼女はチューブ撤去を求める訴えを裁判所におこすが、一審は、患者が末期にはなく、公共施設を利用して自殺を企図しているとの理由で棄却。これに対して控訴審は彼女の訴えを容れ、チューブを撤去するよう判断した。
 控訴審の判示は以下のようなものである。治療拒否権は末期患者に限られるという実際的論理的理由はない。決定権は患者にあり、その意志に反した生命維持はありえない。チューブ撤去は直ちに死に到らず、対応能力を持つ患者は結果として死ぬことがあっても、自己の余命を平和裡に保持する権利を持つ

 ここでは自己決定権の優先が、厳密な意味での末期患者以外に拡げられています。この事例の場合のチューブ撤去は即座に患者の死を意味するものではありません。しかしこれは対応能力のある患者の意志を、治療の選択面でも優先させるという(自己決定権の強化という方向での)意味を持つ判例でした。


事例3

 バーバー(54歳)は腸の外科手術を受けた直後に呼吸不全となり、生命維持装置に繋がれるが、植物状態に陥る。対応能力のあった時点で患者は機械による延命を望まない意向を妻に告げており、妻ら家族の要求を容れて医師グループは装置を撤去。数日後に患者は死亡した。彼らは謀殺の嫌疑で当局の告発を受けるが、裁判所は撤去を治療義務違反とせず、また患者の自己決定権を認めて(患者の願望、感情を知る代理人の意見を尊重して)無罪とした。

 このケースでは、患者の直接の意思表示や文書による意思表示が医療側に示されていなくても、「患者の願望、感情を知る代理人の意見」によって自己決定権の判断および尊重がなされ得るという判断が示されました。


事例4

 ジョゼフ・サイケヴィチ(当時67歳)は生来重度の精神薄弱(知能指数10〜3歳児程度)であり、一度も対応能力を持ったことのない成人として施設で暮らしていた。彼は1976年、不治の急性骨髄性白血病に罹る。不治ではあるが化学療法によって病状を緩和することができる。ただし化学療法は数週間を要し、副作用として激しい不快と嘔吐を避けることはできない。施設の管理者はこの療法が自ら同意も拒否もかなわない患者を無駄に苦しめる拷問ともなりかねないことを懸念して、裁判所に判断を求める。化学療法に反対する医師の証言を踏まえて、裁判所は代理人(管理者)の治療停止を認める裁定を下した。
 代理人は患者本人にもし対応能力があったとすれば選択したであろう治療停止を本人に代わって要求でき、しかも道徳的に許されるとする立場からの判断である

 ここでは対応能力のない患者本人に代わって、その代理人が患者の「自己決定権」の行使を一般的な推測に基づいて行うことができるという裁定が下されています。これはたとえば下の事例5などのようなケースでは、患者保護につながっているのかどうか疑問とされるのではないでしょうか。


事例5

 ここにH夫妻がいる。二人の健康な子供を持ち、三人目が早産で授かった。この子はダウン症(蒙古症)でしかも腸閉塞の余病を持っており、腸閉塞の方は手術により大きな危険もなく治療可能である。だがこの手術をしなければ栄養不良で死を避けられない。看護婦である母親(34歳)はダウン症の子が身体の異常と知能障害をもつことを知っており、手術に同意するのを拒んだ。夫も同じ意見だ。医師はダウン症による精神遅滞は軽度に過ぎず(IQ50〜80、時にはそれ以上)、訓練により単純な仕事に従事でき幸福な生活が可能であることを説いたが、夫妻は拒否する。病院スタッフは夫妻の決心を変えるための裁判所命令を要求することはしなかった。結局その子は別の部屋に移され、11日間が過ぎ餓死するにいたる。

 その患者本人の対応能力がない場合に、代理人の判断による「自己決定権」が優先されるという流れは必然的にこの類の事例も生み出してしまいます。
 脳や身体に障碍がある人は幸せには生きられないのか? 他者がそれを判断できるのか? など非常に重いテーマにつながっていると言えるでしょう。


事例6

 S夫妻の二人目の子アンドルーは予定より15週も早く妊娠期間24.5週で生まれた。絶望的な早産児で体重800g、全身に欠損があった。夫妻の承諾なしに幼児集中治療室(IICU)へ移され、人工呼吸装置が繋がれる。ある医師の話では骨が砕けていたために呼吸のたびに地獄のような痛みを与えていたという。この未経験の患者に対する長い治療が始まり、治療とともに生まれる種々の発症(気管支肺炎、高血圧症、脳溢血、敗血症、諸処の壊死ほか)があり、様々の対症療法の実験が行われた。アンドルーの「英雄的な」延命は丸六ヶ月間続いた。
 最後の六週間までにすでに脳の発育も全く止まっていた。両親はこの間病院と争いつづけるが、病院は両親=法律上の保護者に治療の決定にかかわるインフォームド・コンセントの権利を認めなかった。この子は医師たちに多くのデータを与えて、1977年夏に死んだ。

 このケースは事例5と全く逆に、無意味な延命による苦痛を両親が避けさせてあげられなかったという例にも思えます。このような事例があるからこそ、一つの原則で様々なケースを明確に判断していくということがどれだけ難しいかがわかります。事例5を読まれた時に子供を死なせたその両親の判断に怒りを覚えた方でも、この事例6では「慈悲ある死」をアンドルーにあげたいと思われたのではないでしょうか?


 アメリカでのプライバシー権(=自己決定権)の尊重というものは、明らかに「一般的な倫理」とでも呼べるものを凌駕しています。日本であれば裁判官の判断がその「倫理」として示されるであろうケースでも、極力「自己決定」という一つの原則に拘った判断がなされていると思われます。


 確かに大原則を立ててそれに従うという行動には合理性を感じますが、それだけですべての事例がうまく片付くような原則というものは、むしろ私には考え難いのです。 これら事例と出会われた方が、日本でも何らかの原則を…と主張なさる前に、不十分な原則を立てることに対する危惧もあるのだとお考えいただければ幸いです。
 ことはそれほど単純なものではないのです。

*1:事例は、今井、香川編『バイオエシックス入門第三版』東信堂、2001より引かせていただきます