清め塩

 Crookshanksと題されたこちらの04/09/29の日記(過去ログ)に、次のような(ある会葬礼状の)引用がありました。

「清め塩」はほとんどの葬儀で会葬礼状に挿入され、なかば習慣化されてきましたが、仏教の教えにのっとりこれを廃止することに致しました。
仏教では生と死は表裏一体をなすものであり、「死」は、成仏すること(真実の悟りをひらくこと)、仏国土(清浄なる土)に生まれさせていただくことであるという教えです。それ故葬儀は個人の遺徳を偲びつつ、この自己もまた死を背負いながら生きているという現実を見つめ直す厳粛な儀式です。
仏教は決して「死」を「穢れ」とすることはありません。


従って死を「穢れたもの」として「お清め」する「清め塩」を廃止することにした次第でございます。

 なぜか仏教の側からの神仏分離とでも言うようなこういう言葉が、どうして出てきたものかはっきりとはわかりません。でも「純粋な仏教」などというものは私は無いと思いますし、人々の信心から離れた「純粋な信仰」なんて求めても仕方ないのにとも考えます。浄土系のどちらかの寺院が関わる文言に見えますが、神道での「浄め」についてもいささか型にはまった(あえて言えば浅い)理解なのではないでしょうか?


 また以前、三重県の生活部内に「人権啓発研修プロジェクト」という機関が置かれ、そこでの研修の中で「清め塩は差別に繋がる」といった内容が語られたということをうかがっておりましたが(リンク)、これも何か妙な解釈だと思えました。
 そして今日、mumur氏のブログの「葬儀での「お清め」は人権侵害」という記事に産経新聞の次の記事が引用されていました。(現在記事のリンクは切れてしまっています)

「清め塩、死者を冒涜」 京都・宮津市の“啓発”に市民反発


 京都府宮津市が全戸配布する広報誌などで「葬式での清め塩は故人の尊厳を冒涜(ぼうとく)することにならないでしょうか」などと廃止を呼びかけたところ、市民から「行政が口出しすべきことなのか」と苦情が出ている。「清め塩をすることは死者をけがれた存在とみなしている」というのが市側の言い分だが、宗教とかかわる葬式への“介入”に「政教分離に触れるのでは」と指摘する専門家も。塩論争はさらに波紋を呼びそうだ。


 同市教委は平成16年、市民の意識調査で「葬式には清め塩を出す」とした人が56・6%に上ったことが「意外に多かった」(市教委)として、“啓発が必要”と判断。昨年6月から市広報誌(毎月約8600部発行)に「人権の小窓」というコーナーを設け、「今まで親しんできた人を、亡くなった途端に、けがれた存在とみなすのは人間の尊厳を冒涜することにならないでしょうか」と否定的な見解を示した。


 さらに、市内の僧侶や葬儀関係者に意見を聴いたうえで、ほぼ同じ内容のチラシを作り、昨年秋に全戸配布。火葬申告に市役所を訪れた市民に慣習を廃止するようアドバイスも始めた。申告の際に配られる専用チラシでは「清め塩の風習をなくしましょう」と、廃止を呼びかけている。(中略)


 清め塩の慣習は、死を「穢(けが)れ」とする神道で、それを払う一つの形として中世ごろに生まれたといわれる。その後、宗教的要素は弱まり、習俗として広く行われてきた。
 日本大学教授(憲法学)の百地(ももち)章さんの話 「そもそも葬式は宗教と密接にかかわる。民間の葬式のやり方に市が積極的に介入するのは、政教分離に抵触する疑いがあるのではないか」

 政教分離に反する…というのももちろんなのですが、神道における浄・不浄の概念は単にこれを「浄め―穢れ」の二元的象徴構造として捉えるのでは大事なものを忘れていると考えられます。たとえば禊儀礼にみられるように、穢れはその穢れが付いた状態のものから祓い落とすことができます。存在は浄でも不浄でもなく、また清浄という実体もありません。
 神事から派生したと言われる相撲で土俵に塩が撒かれますが、あの「浄め」にしたところで土俵を忌み、避けているという解釈は在り得ません。平安初期の『延喜式』で塩は神への供物(神饌)として不可欠のものとなりますが、土俵に撒かれる塩は、チカラビトの四股によって神が招来されることに通じると考えられます。


 確かに近世以降の神社神道、また民間の神事・習俗において死と経血はそれぞれ黒不浄赤不浄として嫌われたという解説がありますが、そこでは穢れが必ずしも忌避されたのではなく、浄めによって不浄という属性を纏う存在が穢れなきものに転換されたという図式も存在するのです。私はこちらの方がより古来の神道儀礼の意味として適うのではないかと考えています。
 そして中沢新一が「救済の空間―中世神道のキヨメ」で述べるように神道の「浄め」は、穢れたものを受け入れ、それを浄化してより高い存在に癒し高めるといった宗教的意味を持っていたと思います。

 「キヨメル」ことは、たんに「ケガレタ」ことの反対の状態をさす言葉ではなかった。「キヨメ」は、そこではケガレた状態をはらってキヨメられた、何かの状態をさす言葉ではなかったのである。中世の「キヨメ」はもっと根源的な浄化力と、浄化のプロセスそのものをさしている言葉であったから、それは中世の社会でもっともいみ嫌われたケガレの状態であるレプラの病ですら、癒すことのできる力をもっていた。


 もしもこの「キヨメ」が近世の神道におけるように、ケガレた状態やものをはらって、何かの秩序をつくりだすことだけを意味していたのだとすると、そこからはレプラすら癒すことのできる宗教的な浄化力を期待することはできない。

 神式の葬儀が今なお一部地方で存在するように、死穢というものが考えられたにせよ、それは死者となった人間を忌避し差別するためのものでは決してありません。それゆえ、仏式の葬儀儀礼が形成された中に神道の「浄めの塩」の発想が混交したと思われる「清め塩」は、その宗教的意味からしてももともと「反差別」とかで啓蒙してなくすべきもの、と受け取ることはできないのです。