靖国データベース

 たとえばクリスチャンであるかどうかは、形式的にみればまず洗礼を受けているか否かに依ります。ムスリムでいうなら信仰告白シャハーダ)をするかどうかが最も重要かと思いますが、これらは言ってみれば分岐点であり、信者となるか否かが教義的には「神の国」に行けるかどうか「救済」されるかどうかのラインを引くのです。
 しかしこの救われるか否かという個々人には重要な分岐に対し、近代国家は基本的に関与しません。その価値が現世的なところでは捉えきれないところにあるからですし、むしろその価値を信仰の自由という内面的なところに限定することにより、無用な反目や対立を引き起こさずに多様な人間を一つの国の枠に入れることができるという利点を持つからです。
 実際、誰も此岸的には確かめ得なかったこの救いの線引きのために、どれだけ多くの血が現世的に流されてきたことでしょう。彼岸のことは彼岸で決着をみればよい、此の世ではその価値は問わない…というのは、一つの重要な知恵だと思います。


 さて靖国神社に祭神として祀られるということは、一つの名簿に名前が載せられるということです。そして煎じ詰めれば靖国神社問題は、このデータベースをどう意味づけるか(価値づけるか)ということに帰着します。
 靖国は宗教であるという見方からすれば、そこで祭神となることの価値は現世的には評価し得ないことです。信仰を共にする人たちにはもちろん大きな意味があるでしょうが、本来非信仰者にとっては意味がないと言ってもいいでしょう。
 たとえばどこかの国籍を持つ、といいますかいずれかの国民としてデータベースに載るということは現実にとても実際的な意味を持つことです。霊爾簿に載るということをこういうものと同様のことと勘違いしてはいけません。靖国を一つの宗教として見るということは、その価値を彼岸的なものに限定して考えるということでもあります。
 それが個人の名前であるという点では、何だかプライバシー権と結びつけて考えるような誤解も生じやすいでしょうが、亡くなった方の家族が「故人の遺志」とか「遺族の意思」などを持ち出して霊爾簿からの削除を要求するというのも、逆に言えばそこに書き込まれることの価値(批判者にとって*1マイナスの価値)を認めてしまっているという点で靖国の信仰の価値観の共有ということになってしまっています。
 二宮尊徳を祀る神社は全国に存在します。銅像はもっとたくさんあったでしょう。しかしその神社や銅像の意味は、彼の業績・事跡を讃えそれに意味を見出す側にのみあります。翁の遺族や子孫、あるいは翁本人の遺志とはもともと異なる次元の話なのです。
 そのデータベースの効用と言いますか実際的意味が現世にない以上、無意味だと思ったら放っておく、無視する。そこらへんが信仰と相容れない人のできるぎりぎりのところではないかと思います。
 ある意味皮肉なものです。熱っぽく靖国を否定し、戦犯の悪を声高に言い立てる方々が、最もその価値を認める人たちと同じくらい「靖国」の価値を称揚していることになっているのですから…


 ただ、靖国神社には「国のために亡くなった人を顕彰する」ということに関しての議論は存在しています。私はすでに一宗教法人となった靖国に、この責を担わせることは適当ではないと思います。しかしこれには異論もあるでしょうし、それこそこの際議論百出して良いと思ってもいます。
 これはベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』(NTT出版、1997)の冒頭で言及した、「無名戦士の墓」が持つ国家統合の働きをする「国民的想像力」に関わる類の話であると考えます。近代国家がそれとして統合するために生み出した(生み出す)新たなる超越的価値、といったものの話ですね。これに関しては、まだ私の中で語るに足るだけのものがないと思いますのでここでは触れません。しかし唯一つ、この側面はきわめて内政的な問題であるということだけは断言できます。自分の国をどう思うか、その統合をどう思いどう表現するかということに対し、他国が容喙できると思うのは非常におこがましいことです。有り得ません。


 ということで、私は靖国神社の問題を宗教の側面で基本的に考えたいと思っておりますし、そこに現れてくる国としての慰霊の問題は切り分けて考えるべきだと思ってもおります。そして特に後者は、他国がどうこういうものでは絶対にないということも…
 こうした考えの構図が、おそらく昨日の小泉首相の考えと私の考えの最も異なるところ(小泉氏は必ずしも切り分けて考えていないと思われます)でしょう。ただし、彼の言明は非常に明確なものでしたので、賛成するにせよ反対するにせよ議論の叩き台としては優れたものであったと評価します。
 ところが野党にせよ、反小泉陣営から昨日出てきたステートメントに小泉発言と真正面からぶつかるものが全く見られなかったということには、私は心底失望しております。もうちょっと待つべきでしょうか…あまり期待もできないように思うのですが…。

*1:←表現追加