ル・モンド紙の靖国報道

 産経新聞の昨日の記事で「靖国参拝「軍国主義とは無関係」 仏紙、客観的に報道」というのがちょっと気になりまして、ほんとうに同紙が「中国、韓国が反対するなかでの参拝は両国の圧力に屈しない外交姿勢の表れ」と捉え、「首相の靖国神社参拝が軍国主義とは無関係なことも示唆するなど客観的に伝えている」のかどうか、拙いながらも原文にあたって確かめてみました。


La nouvelle visite de M. Koizumi à Yasukuni défie Pékin et Séoul

北京とソウルに挑む小泉氏の新たな靖国訪問


 8月15日火曜、1945年の日本の降伏記念日に、小泉純一郎靖国の聖域を訪れた。権力から離れる一ヶ月と少し前に、日本の首相は2001年に彼を政権につかせた政治キャンペーンの最中になされた公約を守ったのである。政権の長が8月15日に靖国を訪れるのは、1985年の中曽根康弘以来初めてである。


 数時間後小泉氏は、アキヒト帝の前で、第二次世界大戦前とその最中で他のアジア諸国に与えた「大いなる労苦」に対して遺憾の意と謝罪を繰り返した。神道の聖域である靖国は、1869年の戊辰の内戦以来戦場で失われた二千五百万人の日本人の魂が身を寄せるところである。この聖地はまた、1978年以来、第二次世界大戦後すぐに戦争犯罪者と認められた日本の指導者たちの魂も納めている。


 それゆえ小泉氏は、彼が首相になって以来この聖域を六度訪れたが、その度「二度と戦争がないように、そして戦争で亡くなられた兵士に哀悼の意を表すために」と確言していた。靖国は過去の日本の軍国主義の象徴であるとする中国と韓国の批判も、この巡礼行を思いとどまらせるものではなかった。


 最後の政治的一撃


 火曜日、その到着をいささかの拍手が迎えたが、ある目撃者が言ったように「ここのすべての人がとりわけ歓迎するというものではなかった」。多くの日本人、特に老齢の人々にとって、靖国に8月15日に来るということは単にあの戦争で亡くなった近親者に敬意を捧げるという機会でしかない。そしてそれはまたごく最近では極右と轡を並べる行為でもある。その(極右の)メンバーは、帝国陸軍の旗で飾られ、軍歌や北朝鮮・中国に対する敵対的なスローガンを流す拡声器をつけた黒いトラックで、ユニフォームに身を包んでやって来る。


 火曜日の訪問は、同じ日を日本の占領に対する勝利の日として祝う北京とソウルに、驚きは与えなかったが怒りを引き起こした。韓国は、その「ナショナリスト」への足取りと彼らが判断したものに対し「深い失望と怒り」を表明し「誠意を込めて悔悟せよ」と日本に命じた。中国はこの訪問に対して「激しくかつ厳粛に抗議する」ために日本から大使を召還した。小泉氏の弁明は、彼の靖国への巡礼のインパクトを緩和するのに成功してはいないようである。


 中国と韓国は小泉氏の後継者の態度がどうなるかということを窺っているのは明らかで、その後継者は9月20日までに決められることになっている。政治評論家にとっては、この訪問は「首相の最後の政治的一撃」でしかない。


 それゆえこの問題は、その(後継者選びの)キャンペーンで重要な位置を占めるに違いない。人気馬であり、政府の現在のスポークスマンである安倍晋三は、未だにその意中を明らかにはしていない。日本の輿論は原則において揺れ動いている。この7月20日、かつての皇室の侍従長のメモの暴露は、故ヒロヒト帝が1978年の戦犯合祀に反対の意を表すために靖国へ行くのを止めたということを示した。この発表以来、輿論調査は日本人の大多数がかの聖域への首相の参拝に不賛成だということを明らかにしている。
(フィリップ・メスマー ル・モンド 8/16)


 うーん。微妙なところ(笑) 産経の記事もあながち間違いではないと思いますが、そんなに小泉首相に好意的ともいえず、ちょっと輿論調査の結果などで誤認というか古い情報もあったり、首相の靖国到着の描写には首をひねるところもあるものの、まあまあ客観的といったところではないでしょうか。


 それより、彼らは発せられた「言葉」をきちんと受け止める(評価する)なあという印象を強く持ちました。小泉氏の言葉を、安易に裏を読むでもなく、動機を勝手に読むでもなく、中韓ももちろんですが国内のメディアやら反小泉の人たちよりもまっすぐ受け取っているようではありませんか。さすが思弁・言論の本場と思いますね。発せられた言葉を軽々しく考えないというところは見習いたいものです。