噂と価値

 増田の「■「都市伝説」たる検証可能性
 なかなか面白い発想です。Wikipediaの「都市伝説一覧」の記事について「出典」に信頼性があるかと問い、「都市伝説とされる噂が実際に流れていたことが検証可能」か「その噂が事実ではないことが検証可能」かという二点を考察するもの。


 でもふと思ったのですが、少なくとも「都市伝説とされる(その)噂が実際に流れていたのか」を問うことは事実上不可能なのではないでしょうか? それをこうして話題にした瞬間に、その「都市伝説」はそこに存在してしまいます。ましてネットで書いたりするとそれだけで何人もの人に話したと同じ効果が得られたりしますから、その話が「ありそうな話」「おもしろい話」であればもうそこから新たな都市伝説が流通してしまいます。
 もちろんこの方は時間的前後関係を気になさるでしょうが、それがネット上のWikipediaであるだけに「書かれた瞬間に(その)都市伝説の存在が問えなくなる>すでにある」という構造は面白いです。


 噂ってもともとそういうもので、その出所や流通経路を真面目に学的に調べられている方もいらっしゃいます。でも実体の無いもの、口にするだけで発生するものの起源を厳密に確定できるかと言えばそれはかなり不可能に近いものだとも思います*1


 そしてさらに、利用価値以上の「もの・ことの価値」というものも同じような構造を持っているのかなあと漠然と…。そこでは一度成立してしまった価値の根拠を遡及的に問うことはできません。
 だってみんなそれを「価値」として認めているよということで、それは自分の襟首を引っ張って上に持ち上げているような「虚空の力業」で支えられてしまっているのですから。

*1:おおよその発生とその流通を辿ること自体には十分意味がありそうに思いますが