みんながやっているから

 「人は他者が欲望するものを欲する」という言い方が欲望の構造を表すならば、基本的に倫理も似た構造を持つのではないかとも思います。「人は周囲の人が願う在り方を願う」ということです。
 ちょうど高校に入った子がその周りの皆の中で浮かないような格好をし(だぶだぶのズボンでも、茶髪でも、ピアスでも)、それが「格好いい」と思うようになるのと同じく、その子の周囲が万引きぐらいどってことないぜみたいな倫理観を持っている場合、それを躊躇することがその「倫(とも)」の内部に居られないことを意味し、自分でもたやすく「万引きぐらい」と思ってやってしまうように、その集団の内部にいるということが同時にその集団の倫理を共有するということになるのではないか。つまり場合場合の「内部」での倫理が、一時的にせよ最も強い強制力を持つのではないかと考えられるのです。


 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは、殺戮を厭わないテロ組織の中では(お互いを殺さないという部分を除いては)無効になっているのかもしれません。


 そしてそれは裏を返せば、「みんながやっているから自分に罪はない」という小学生のような言い訳が、少なからずこの社会に蔓延している状況を説明しているのかも…と考えてみたのですが。