三社祭の「神輿乗り」

 三社祭で起こった前代未聞の不祥事

【東京】今月18〜20日に開かれる浅草神社台東区浅草2)の三社祭が、「厳戒態勢」になりそうだ。昨年、担ぎ手が乗った神輿(みこし)の一部が壊れる事故が発生し、「神輿乗り」を続けたい担ぎ手側と禁止したい主催者側の協議が一時難航。今年の開催が危ぶまれた。最終的に両者は合意したが、今年は「神輿乗り禁止」の原則が崩れないよう、関係者が目を光らせる中での祭りになる。【森禎行】


 事故は昨年5月21日早朝に発生した。3台の本社神輿が神社境内を東、西、南の3方向に練り歩くメーンの「宮出し」で、南に進む神輿「二之宮」に、16人の担ぎ手が乗った。神輿はそのまま地面に落ち、「とんぼ」と呼ばれる左前の横棒が折れたという。


 主催者の浅草神社は「前代未聞の深刻な不祥事」と憤る。同神社は「神輿には神社のお神霊を祭っており、人が乗ることは神霊を汚す行為」として禁止する注意喚起を毎年続けてきた。しかし、ここ十数年改善せず、「神輿乗り」が続いていた。神社は「『だんじり祭』(大阪府岸和田市)で山車に人が乗るのとは違う。神輿に人が乗ってはならない」と力をこめる。(中略)


 事故を教訓に神社側は「神を軽視する行為が他の神社へ波及する悪循環を恐れる。本来の祭りの姿を取り戻したい」といい、今年の「宮出し」で神輿に人が乗れば、来年の「宮出し」は中止にする強い姿勢で「監視」することにしている。
 (毎日新聞【掘り出しニュース】2007年5月14日)


 もともと日本の神霊は一つの場所に留まるものではなく、求めに応じて自由に動き回るものとして考えられていました。神は祭りのときだけ祭場に影向(ようごう)(>示現)するものだったのです。地鎮祭などで降神詞を唱えて神籬に神をお招きするといった形が古くからあったもの。
 ところが仏教の影響などから常設社殿が作られ、神常在の考え方が広まってからは祭式もやや複雑なものとなります。すなわち「祭のときには祭場に神をお迎えする」という形が重視されたため、神社とは別の場所、すなわち神宿・仮屋としての頭屋、旅所(臨時の祭場)と常在所との神の往還という祭の手順がここに現れたのでした。
 神の示現を請うた場所から祭場に向かうのが遊幸・渡御(とぎょ)、帰っていただくのが還幸・お帰りと呼ばれる道行です。もともとは祭礼の一部の儀礼なのですが、人々の目にとまる部分であったため行装が整えられ、さらには祭そのもののようにも考えられるようになっていきました。
 渡御・還幸の際には神輿に乗せられた依代に神がのり移られているという前提がありますので、まさしく記事に言うように「神輿乗り」という行為は神の冒涜と言われてもしかたがないものです。


 これに対して山車(だし)はどう位置づけられるのかと言いますと、山車の原型は祇園御霊会における神輿の後に続く行列の「空車」(屋蓋のない台車)であると言われております。盛大化する祭礼の中で、神輿の行列には神人たち、馬長を中心とする騎馬の一団、騎馬の巫女・御幣・太鼓、榊と鉾を持つ人々…などなどの多くの参列者が加わっていきましたが、長和二(1013)年、散楽(猿楽の源流)の空車の参加があったことが『本朝世紀』という本に記されています。これが今も曳かれる山鉾の源流とされるものです。
 御霊会系の都市祭礼の原型としての祇園御霊会から、中世以降さまざまなものが地方へ波及していきました。神輿の渡御よりも祭列を派手に見せる山車もまた、こうして日本各地で見られるようになっていったと考えられているのです。


 ただ、こうした祭礼の際の禁忌や様式は地方ごと、神社ごとの伝承や取り決めに従うのが常道でもあります。浅草神社が「神輿乗り」を許すならば、そういう形が伝統化することも考えられました。しかし上記記事のようにやはり「神輿乗り」は禁止とするなら、もちろんそれに従うのが「この祭」では正しいと言えましょう。

 当初、担ぎ手で構成する同好会が「神輿乗り禁止」に同意する「誓約書」を神社に提出することに難色を示した。そのため神社側は「状況が改善しなければ今年の『宮出し』は中止」と宣言。これを受けて、大半の同好会から誓約書が提出されたため、祭りは従来通り開かれることになった。

 氏子の減少、担ぎ手の不足といったものは諸方の神社の祭礼でもちょくちょく見られるものです。都内の大きな祭では祭好きの同好会の人々による参加が増加傾向にあり、担ぎ手不足とは縁遠いと思っておりましたが、意外なところに落とし穴があったようです。神社としてもどこか痛し痒しでもありましょうが、祭礼の中止まで考えた毅然とした態度が取れたことで今後の正常化が期待できると思います。