昨日の続き

 ナショナリズムとは何なのか、ということについての再考を含んだ形でのナショナリズムの現れ。もし90年代半ば以降から新しい形のナショナリズムが見えているとすれば、それはおそらくこうしたものではないかと考えることがあります。
 ナショナリズムとは何か。それは忌避されるべきものなのか…。意識して、あるいは無意識のうちにメタな視点でその概念自身が問い直されながら表現される。そういう構造がそこにあったのではないでしょうか。
 私は90年代にはすでに成人していましたし、それ以前の雰囲気、ナショナリズムとは何かがほとんど問われることなくそこにネガティブな意味合いを感じるというような状況を記憶しています。それはどこか利己主義的な響きを持つタームで、我を張る人がいなくなれば喧嘩が無くなるというアナロジーのように、ナショナリズムが抑えられさえすれば戦争は無くなるというような暗黙の理解がそこにはあったようにも思います。ただ、それはあくまで場の空気のような(主にメディア、知識人といったところで語られる)ものでもあったように感じるところも…。


 私には記憶がありませんが、たとえば戦後間もなくのボクシングやプロレスといった格闘技の類で「日本人」が勝つということに熱狂した雰囲気があったとか、記録映画で見た限りですが東京オリンピックで「自国」の勝利に沸いた人々がいたとか、そういうスポーツでのナショナリズムの発露は決して戦後消えてしまったものではなかったはずです。
 ですから、オリンピックでもサッカーでも屈託なく日本を応援する若者がいるという事実それ自体が特別変わったものであるとは思えません。ただ、それ以前の若い者はもっと斜に構えていた(オリンピックの興奮から醒めていた方がカッコイイと思われていた)ようには思いますし、80年代あたりには妙に「日の丸を背負うというのではなく、自分で楽しむためにオリンピックに参加する」というような言い方がメディアに多く露出していたようにも感じます。
 ある時期に、屈託なく日本を応援する若者に「ナショナリズム」を見た人たちは、あるいはそれ以前の風潮といったものから(たいした考えもなしに)それをどこか忌避すべきものと感じたのではないかと思いますが、たとえばワールドカップでの日の丸を振っての応援に対して、それのどこが悪いかという説明は結局できなかったのでした。考えてみれば、各国のナショナリズムの発露でもある国際大会で、「日本のナショナリズムだけは悪いもの」とする説得的な議論など無理なのですし、ナショナリズムが悪いものだとすれば、その鉾先はすべての国々のそれに向わなければならないのです。(もしかしたら私もその一人であったかもしれませんが)そこに気づいた若者たちは、むしろ暗黙のタブーを破る(そこに縛られない)という喜びもそこで感じていたのかもしれません。


 元がよくわからない「常識」といったもの、習慣化し誰も再び考えてみようとしなくなった「当たり前」というものに異議を唱えるのはいつの時代にも若い世代が中心なのではないかと思います。それはむやみな反抗・反発であることも多いのでしょうが、時に正鵠を射るような、怠惰な常識のひっくり返しになることもあるでしょう。
 それは「若者のナショナリズム」として見えたとしても、ナショナリズムが問題であるというよりは若者の異議申し立てとして意味があるものではなかったかと私は思うのです。そして、ナショナリズム忌避に対する疑問といったような態度こそ、「他国の事情」をより多くの情報として得た者に最も出やすくなるものでもありますから、多文化(他文化)に接触する機会が増えた「開かれた」世代にそれが多く見られるのはむしろ当然です。
 こう考えてみると、

 窪塚洋介さんの場合、さまざまな文化や生活様式を、「多文化主義」的に相対化するような視点を経由することで、ナショナリズムへと向かっています。

 というように昨日の引用で大澤氏が「矛盾」として考えたものが、かえって「必然」であったかもしれないというところが見えてくるのではないでしょうか?
(※昨日書いたものへの補遺として少し記してみました)


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