古くて新しいポジティブ・シンキング

 ちょっと弱々しく生きていればめげそうなのでこれは前向き思考しかないなんて思っていたところで、家のポストに生長の家の雑誌『白鳩』が投げ込まれていました。これはなんてタイミングと感じたのですが、今のところ引越ししてからは新宗教系の勧誘?としてはこれが第一号です。
 ポジティブ・シンキングといったようなものは、手段としてはこれをある程度認めざるを得ないような内容を持っていると考えます。ただそれを目的化するようなものには個々人の選択が働くべきとも思いますが…


 時折ブログでカーネギーの言葉云々といった成功哲学の本を採り上げる方がおられますが、ああいう発想もすべからくポジティブ・シンキング的という形容があてはまるはずのもので、たとえばWikipedia「ニューソート」の項目では生長の家谷口雅春の名や成長哲学といったところを引いてこれを

 …気持ちを明るく保つことによって運命が開けるという考え方である。

と紹介しています。英語版Wikiでは起源その他についてより詳しい記述がありますが、現在記述の妥当性やソースなどにクレームが来て問題になっている模様。
 ただ、谷口の思想が20世紀初頭にアメリカで流行していたニューソートムーブメントの影響を受けていることは確かで、そのポジティブ・シンキング的なものが「生長の家」を特色付けているというところは衆目の一致するところだと思います。


 ちょっと前にはてなでも話題になった「■何でも楽しいという友人」などの増田の記事にも、素直に感心する人がいる反面、宗教臭さを感じるというブクマコメントがあったところなどに私はこのポジティブ・シンキング的な(>それを目的化した感のある)宗教の存在を感じていました。(考え過ぎだったでしょうか? この考えを延長すれば、「相変わらず新興宗教が流行っている」というようなネガティブな反応の裏にもこのポジティブ・シンキング的なものに対するアンチの感情があると思うのですが…)


 現在のスピリチュアリズムの流行も、ある面ニューソートやオカルティズムなどのリバイバルとしての側面があるのは否めません。もっと古く辿ればネオプラトニズムあたりまで至るのかもしれませんが。そして確かに局面や状況さえ選べば、ポジティブ・シンキング的なものが実効性を有するという考え自体に私は頷きます。それは数ある手の一つとして持っておきたいものでしょう。


 ポストに「白鳩」が入っていたというそれだけで生長の家に入会する云々はちょっとあり得ませんが、今日は興味深くこれを読ませていただきましょう。そして、できることなら今の自分に必要と思われるエッセンスは少しわけていただきたいですね。