Quality of Lifeについて

 医学・医療系の専門用語としてQOL(Quality Of Life)という言葉はすっかり定着したものと思われます。一般の人の口にもあがるようになってきました。このQOLは「生命の質・生活の質」と専ら訳されていて、患者の快適さや意義ある生き方を考慮し、病状や治療との兼ね合いでそれらを比較考量するためのキータームとして用いられています。
 でもこの言葉がSOL(Sanctity Of Life)「生命の尊厳・生命の神聖性」と対比的に捉えられていた語だということを意識する人は必ずしも多いとは言えないでしょう。場合によってこの語は、依然として「生命の尊厳」の反対側にあると考えられるものでもあって、そこらへんを少し意識しなければ危ういのではないかなと個人的には思っています。

その由来

 QOLという語を初めて用いたのは倫理学者のジョゼフ・フレッチャー(Joseph Fletcher 1905-1991)でした。彼はもともと聖公会の牧師でもありました。フレッチャーは1944年から聖公会神学校(Episcopal Divinity School)及びハーバード大学神学部(Harvard Divinity School)においてキリスト教倫理を教え、後にバージニア大学初の医療倫理(Medical Ethics)の教授ともなった人です。また彼は生命倫理学(Bioethics)という学問分野の先駆者として必ず名が挙げられる人でもあります。
 フレッチャーは1973年の論文「倫理学安楽死*1でこの言葉を使います。文脈としては、生命至上主義的(vitalistic)な意見を批判し、当代の倫理学はすでに消極的安楽死を許容するものであると論じつつ次のようにQuality of Lifeを語るのです。

 これを別の仕方で表現すれば、医学が科学となる以前の時期に医学的理想主義の古典的教義であった生命の尊厳、これに基礎を置く伝統的な倫理学が、生命の質(Quality of Life)を重視する倫理学の規約に道を譲らなければならなくなったのである。*2

 フレッチャーによってここで退けられる生命の尊厳(SOL)重視の伝統的倫理学こそ彼が生命至上主義的考え方とするものであり、それはまた彼によって

 生物学的な生存を1次的な価値とし,他のすべての項目,例えば,個性や尊厳,幸福や抑制を必然的に2次的なものとする見解*3

とみなされているものなのです。


 フレッチャーがこうした考え方を批判するのは、道徳神学的な医療倫理から脱却すべきと考えたからでもあります。およそ20世紀初頭までの西洋の医療倫理ではカトリックの道徳神学(たとえば聖アルフォンスの"Theologia moralis" (1748)などで論じられた神学倫理)などが重んじられ、宗教色が伴うものでありました。
 これに対して彼は『道徳と医療(Morals and Medicine)』1954、を出版し、医療の倫理を人間の諸権利を中心に考える(つまりそれまでの十戒秘蹟を中心とした構成を棄てる)ことを提唱したのです。言い換えるならばそれは生や死を人間の責任のもとに捉えなおす試みだったのです。そしてたとえば「our right to die」(死ぬ権利)などという言葉は彼が初めて使い、この書以降に広まっていったものとされています。

 昔の神は誕生と死について独占的な支配力を持つと信じられていたのであるが、生を始めるのにも生を終えるのにも、人間には責任がなかったということを考えれば、この神は原始的な「間隙の神 God of the gaps」だったのである。「間隙の神」とは、われわれの知識の間隙や、その知識がわれわれに与えてくれる支配力の間隙を埋める、神秘的で畏怖を感じさせる神である。「彼」はいわば、人間の無知や無力を担保[成立の支え]にしたものだったのである。*4

 フレッチャーの主張は「人間は自分が用い得る選択肢についての知識に基づいて自由に選択を行うべき」とするものです。彼は「自然の通常の平均的な現象の探求によって、神の意志や人間のための規範が明らかになると想定する根拠はまったくない」として、この分野の倫理の宗教的背景からの脱却を主導したのでした。


 彼がいうSOLからQOLへの倫理学の原理の転換とは、このように倫理学における脱神話化・世俗化の意味合いを多分に含んだものだったのです。つまりここでの「生命の質」は、人間が自らの責任においてはかり決定するものなのだという主張なのであって、そこには生死に関わる倫理的価値を決定する者を人間の側に取り戻すという方向性があったのでした。

QOLとSOLの対立図式

 一般に応用倫理学(Applied Ethics)は状況倫理(Situation Ethics)的学説とされています。生命倫理学(Bioethics)もこの範疇に属する学説となります。
 状況倫理とは倫理の問題を現実的な問題、個々の特定の場合(状況)に即して考えることを意味し、律法主義(legalism)や原則倫理との対比において語られる倫理学説です。フレッチャーも自らの学説を状況倫理と表現していて、QOLが状況倫理としての発想で語られている一方SOLはおよそ原則倫理的な捉え方をされているのは明らかでしょう。


 原則倫理では何よりも自らの信じる倫理原則に従うことが重要であって、そのために結果が思わしくなかったとしても仕方のないこととされます。これに対して状況倫理では、原則ではなく状況が行為の善悪を決定すると考えます。そのため結果が良ければその行為は善(good)とされるのです。結果主義(consequentialism)もこちらのカテゴリーに入る考え方ですし、またその結果の善し悪しの決定はその行為によってもたらされる功利(utility)の大小によって決まるとされ、功利主義に通じる倫理学説だとも言えます。


 SOL「生命の尊厳」はすべての人間において適用される疑い得ない概念であると認識し、そこからすべての価値判断を演繹すればその強調は結果としてQOLと対立してしまうことは確かでしょう。また状況判断を一切しない価値判断は形而上学的であって、QOLを支持する側からSOLはその批判を免れ得ません。
 この対立図式についてはカイザーリンクによって次のように簡潔にまとめられています

 生命の尊厳(SOL)という原理は、たとえ患者の健康状態が良くなくても、その人が生まれつき持っている神聖さゆえに、すべての生命は平等で絶対の価値を持っていると確信させる原理であるから、QOLとSOLとは互いに排他的であらねばならない。*5

その一つの問題点

 QOL論に対してはしばしば「生命の選別」批判も為されます。フレッチャーの最初の用法の時から、SOLに対するQOLの発想には人格(そしてそれを形成するものとしての知性)重視という傾向が離れがたくあります。
 生きることに対して選好や利害関心を尊重しようというその発想は、逆に見れば「乳児、重度の精神遅滞者、重度の脳損傷を被った患者は、生き続けることに関して選好や利害関心を持たないので彼らを殺すことは直ちに悪ではないということになる」のではないかという疑いを抱かせるのです。
 そしてこの選別批判には、選択を行う者が主観的にそれを行うことについての疑念がつきまとっています。それは無謬ではあり得ない人間の判断というものに対する根本的な疑いであるとも取れるでしょう。

 QOLを考慮に入れる以上、どうしても避けようもなく根本的な意味で、主観的な(客観的でない)判断が入ってくるし、また、他人の生命に対して単に相対的な価値しか認めないということになる。*6


 さらに問題を敷衍すれば、QOLが「人間」の生命の質を問うものである以上「何を以て人間とするか」という定義問題、また「何をその人にとって最善と見なすか」という判断問題から離れることはできません。たとえば重い障害を抱えて生まれてきた新生児にしても、重篤な状態にある人、あるいは脳死状態と判断されるような人でも、本人が本人の生命の質を判断することは不可能なのです。ここに必然的に他者の判断が介在してくることになります。
 QOLがもともとフレッチャーの安楽死(Euthanasia)論説に由来するという意味もここにあるでしょう。そして人間個々人の価値の問題について第三者が判断するという状況がある限り、常に「それは正当なものか」という疑念を抱く者が出てきてしまうのではないでしょうか。
 ただそれでも状況に応じた最善の判断は為されるべきであり、医療においては合理的な解決方法が常に求められると私は考えます。単に判断の重さを忌避したいがためにSOLを口にするという方向は不誠実と言わざるを得ません。QOLの立場は常に最善の道を模索し、また価値判断のための客観的基準を必要とするということを忘れてはならないのです。

 と、ことほど左様にQOLという言葉は(実は結構)重い内容を持っていて、それが人口に膾炙するとしても、この語の由来やら問題点に関することなどは忘れられてはいけないと思うのです。*7

*1:Joseph Fletcher, 'Ethics and Euthanasia', R.H.Williams (ed.),To Live and To Die,1973、所収。

*2:加藤尚武・飯田亘之編『バイオエシックスの基礎 欧米の「生命倫理」論』東海大学出版会、1988年、所収の邦訳から。pp.136-137。以下引用にはこの訳を用います。強調は引用者。

*3:前掲書、p.136。

*4:前掲書、p.138。

*5:エドワード・W.カイザーリンク「生命の尊厳と生命の質は両立可能か」。前掲書、p.3。

*6:カイザーリンク、前掲論文。前掲書、p.3。

*7:某所に書いたものから一部転用・改稿。