ハラスメント1

 路上や建物に大きく書かれた文字や絵、電車の窓からも良く見られるようになったのは90年代の半ばあたりからだったでしょうか。あれはグラフィティだ、エアロゾールアートだと芸術性を説かれる人もいますね。前衛芸術方面に明るいわけではありませんが、絵はがきのように風景を切り取ってみればデザインとして確かに非凡なものもあるとは感じます。
 でも描かれた側にとってそれは通り過ぎればいい「風景」であるとは限りません。最近は住宅街や商店街のシャッターにも落書きをする馬鹿が出てきているようで、それはあまりに想像力に欠ける行為です。自分の望まぬ「アート」がべたべた目の前に突きつけられるのは、芸術性云々以前に非道なハラスメントであり得るということを考えてもみない人間(アーティスト気取りの変態ライター/ペインター)が増えたというのはとても残念なことです。
 それが公共施設や公共交通機関に描かれるという時点でも議論はあったでしょう。アーティスト気取りの人たちは反社会性も含めてアートを主張する時もありますし、通念や常識に反旗を翻しているのだとする主張にも一応耳は貸します。でもグラフィティ(落書き)をアートとしたいなら、一定期間過ぎれば自分で消せとも強く思うのです。自分の金で自分の労力で始末もつけられずにアート気取りはかたはら痛いものです。
 私はこれを所有権とか器物損壊の次元というよりハラスメントのレベルでも大きな問題だと思います。自分の家や店の壁に理解しがたい模様が描き込まれているのを見るのは精神的な苦痛になります。それが容易に消しがたいものならなおさら。それが汲み取れないようならグラフィティはただの犯罪行為にしか思えませんね。
 その犯罪者たちが自分の家だのアパートだのに入った時、そこにわけのわからない模様が必ず描き込まれてしまうようになったらどうでしょうか? すばらしい、アートだと嬉しいものでしょうか?
 もし個人の住宅や店が被害に遭うことはなく、公共物に大々的に描かれたものも一ヶ月で自主的に原状回復されるということでしたら、私はもっとグラフィティアートに寛容になれるでしょうし、彼らを変態だとか犯罪者だと思わずに済むでしょう。


 そこに残ってしまう。見せつけられてしまう。気にしないようにすればいいと言っても一度気になってしまえば無視するのはなかなか難しいものです。
 ネット上にあげられた書き込みも、それが自分に関わりのない内容で、かつあまり行かないようなところにあるものであれば「風景の一部」と通り過ぎることができます。でもたとえば自分の記事につけられたブコメなど、それがどうにも気になってしまうケースがあるだろうことは想像できます。それは単なる「風景」ではなく、その人にとっては自分の延長に土足でマークをつけられることかもしれないのですから。
 どこを気にするかとかどんな内容なら気になるかとか、そこらへんには個人差があるでしょう。ただ、自分が気にならないのは「わがこと」ではない所為だからじゃないかということは、常に考えてみる価値はあることだと思います。