雑感

 臓器移植法改正案について夕方から続報をテレビなどでも見続けていますが、場合によっては廃案になるというのが(自分が思っていたより)確率が高いものとされているようで少し安堵?しています。また参院でさらなる改正案に収まる公算もなくはないようで、どうなるものか目は離せないように感じます。


 レシピエントの方々の側、さすがにコメントを挙げるのは「現在移植待ち」のご家族ではなくて、かつて移植を待ってそれが遂げられずに愛する者を亡くされた、そういうご家族なのですが、移植にしか望みをつなげない家族の心情としてこの改正案が採択されて嬉しいといったような声を伺いました。


 臓器移植法がかつて成立してから12年、わずか81例の移植しかなく、2500名超の移植待ちの患者さんたちが移植を受けられずに亡くなった…という話があったのですが、もし最初からこの改正案のような"緩い"基準での移植が可能になっていたとして、それでもこの移植待ちをしていた方々が(みなさん)助かっていただろうかと考える時、実際はそういうことはなかったであろうと思わざるを得ません。藁にもすがる思いの方には一条の光明でもあるでしょうが、それはあくまで可能性の話に過ぎないのだと思います。


 生まれながらに心臓疾患があって、わずか一歳で移植を待たず亡くなられた赤ちゃんのお母さんのお話も伺いました。さぞや無念であったろうと思います。でもここは第三者的な自分の視点で申し上げますと、その一歳の赤ちゃんが助かるためには、どこかで別の一人の幼い赤ちゃんが脳死にならなければいけなかったのだということがどうしても思われます。


 誰かが一人死ななければ、レシピエントの方お一人は助けられないのです。
 現在の移植医療はまだそういう段階です。
 明確に、誰かに死んで欲しいと思われるご家族はないと思います。でもその患者さんと同じぐらいの歳の誰かが亡くなって、その身体が火葬されるか埋められるかして葬られるとき、それを思わずもったいないと考えてはしまわないでしょうか。その遺体が無駄にされていると頭をよぎらないでしょうか。自分だったらそう考えてしまいそうで怖いです。


 この先、脳死判定は増えることになると思います。特に小児、あるいは幼児の方では今まで出されなかった脳死判定は必ずでてくるでしょう(この改正案が完全に成立すれば、ですが)。
 我が子を失ったばかりのご両親に、ついては臓器移植をお待ちのお子さんがいて、そちらの方に脳死になられたお子さんの臓器をご提供いただけませんか?という声が必ず掛けられることになるのです。
 その時に子供を失ったばかりの親はどう判断できるのでしょう?
 ドナーになることを認めるにしろ拒否するにしろ、どちらでも後悔が残ることはありそうに思えてなりません。


 また、そこで提供を拒否した親御さんたちがメディアに嗅ぎつけられでもしたら、それが批判の声の高まりになってしまうということはないでしょうか? それだけは是が非でも避けて欲しい状況です。


 唐突に、そして一気にそういう問題に直面する寸前まで私たちは来てしまったのだということを、今考えてみなければならないのだと思います。