伝統の捉え方

 12/31の日記にbluefoxさんからコメントをいただきました。伝統について触れてきたことを少々まとめるのに適当に思えますので、返答方々書いてみたいと存じます。

 bluefox014さん曰く

 例えば金山寺味噌が守るべき文化、守るべき伝統だとして、それを「日本文化」「守るべき日本の伝統」と形容することはどれくらい妥当なのですかね。味噌や醤油のような地域的嗜好性の強い食品の場合、例えば金山寺味噌は「紀州の食文化」「近畿の食文化」と形容できますし、また大きなくくりでは「東アジア文化」という形容も妥当性を有するわけです。特に金山寺味噌などはその由来から考えても「日本」という枠では収まりきれない東アジア味噌文化の典型だと思われますが。


 それから、例えば明太子は「守るべき日本文化」「守るべき日本の伝統」の範疇の内なんでしょうか、外なんでしょうか。「守るべき/継承すべき文化/伝統」が個々人にあるとして、それがどの範疇の文化なのか、例えば「日本の文化」「日本の伝統」という範疇の外になるのか中なのかは、案外どうでもいいことのように思えるのですね。


 味噌も醤油も梅干しも豆腐も東アジアに広範にある文化で、にもかかわらず私たちは恣意的、主観的に「日本文化」とか「日本の伝統」と語る傾向がある、その傾向への自覚が必要なのだと思います。
(※引用は二つのコメントにまたがっていますが、私の判断でこの形で引用しております)


 広義に、伝統とは世代を越えた生き方を指すと私は思っています。ある社会・集団に長く伝えられ共に生きられてきた様式(文化財・習俗・信仰等々)が伝統の名で呼ばれることにご異存のある方は少ないでしょう。
 そうした伝統は必ずしも始原であることを必要としません。たとえば金山寺味噌は、13世紀半ば入宋した法燈国師覚心が「径山寺味噌」なる食べ物と製法を日本に持ち帰ったものと由来が伝承されていますが、それが700年以上の長きにわたり食され、愛されて来たということ自体が「伝統」の名にふさわしいものであると私は考えます。
 またこの渡来の径山寺味噌の製作過程での滲出液が醤油の起源などとも言われておりますが、その真偽はともかく、舐め味噌、あるいは調味料としての味噌・醤油は私たちの食文化に根付き、むしろそれを特色付けるものとさえなっておりますので、どこに起源があろうと伝統のものと断言できると思います。


 もちろん金山寺味噌紀州の伝統と和歌山の方が思い、近畿の食文化と関西の方が思うのに何の問題もありません。そして同じようにそれを日本の食伝統と思うのにも違和感はないですね。この範疇の違いは単に重なった地縁の枠の違いに過ぎません。
 これを東アジアの伝統と捉えるのもありでしょう。食文化ではありませんが、過去日記ではラオス・タイあたりの稲作民の生活と信仰に「日本・東南アジアの宗教の原型」を見られている方のおっしゃることを紹介したこともあります。様々な伝統の受け止め方、あるいは郷愁の感じ方と申した方がいいのかもしれませんが、それらは問題なく共存できるものだとも思います。


 bluefoxさんは伝統といえば「守るべき」という具合に思われますか? もしそうならそれは伝統主義的な考え方ですね。私はどちらかというと伝統と言えば「惜しむべき」という語を冠して語りたい方です。それはその伝統を生きてきた人への「敬意」であり、それが私を含む集団の伝統ならば「共感」でもあります。
 近代日本は多くの伝統から離れてきてしまったようにも思えます。それは人々の生き方が大きく変わったからでありましょうし、悲しい言い方ですが仕方のないことだったとも言えるでしょう。私たちの生活は明治以前と同じにはできないのですから。
 むしろ伝統を愛惜する心は、その伝統から離れかけた時、その伝統が無くなりつつある時に強く持たれるのかもしれません。茅葺屋根の民家は、今実現するとすれば作り維持するだけで大変な労力とお金がかかってしまいます。また囲炉裏も屋根を葺いた萱などの燻蒸に必要ですし…。それはなかなかに現実的とは言えない生き方になっています。茅葺屋根の家には一度も住んだことはありませんが、それでもそれは私の郷愁を誘うものです。そこで生きられた生に、ある種の結びつき・共有感があります。おそらくこの感覚は、茅葺屋根が見られなくなって世代を経るごとに小さくなっていってしまうのでしょうが…。


 自分が生きる社会とはかなり無縁の社会伝統に対しても「尊重」したいなとの念を抱くときはあります。それはそこに生きられた代々の人への敬意を持つことだと思います。ただこの場合にはノスタルジアの感覚は無いのが普通でありましょう。自分の生に近ければ近いほどその伝統は「郷愁」とともに感じられるのだと思います。アフリカ大陸の内部を転々とする商社員がその奥地で中国料理を食べたときなどは、東アジア文化伝統への郷愁が湧いてきても不思議ではありませんね(深田祐介さんの作でそうしたものがあったような…)。


 自身に関わる伝統というところで申しますと、それはもちろん主観的ではありますが決して恣意的ではありません。私がジンバブエのフニャモやスイスのミューズリーに郷愁を感じないのは、それが私の生とのつながりをわずかしか持っていないからです。
 その生のつながり、共感、郷愁、そういった主観がたとえば「日本の伝統」という枠組みをつくり、私に感じさせてくれるのでしょう。そしてそれは相対化しようとしてもできない部分、私が私になる過程において基盤となってくれた何者かを含むものだと思います。幼少期を生きた地方に対する郷愁が本当であって、日本という国に対する郷愁はまがい物だ、というような言い方はできないものと私は考えております。


 日本の伝統という捉え方を敢えて否定したり相対化する謂れは私にはないように思えます。同じ言葉を語り、似たようなものを食べ、類似の習俗を持つという意味では非常にわかり易く地縁の枠が考えられる範疇ではないでしょうか? もちろん人それぞれの考え方もありますから、それより狭い枠もしくは広い枠で考えたい方がいらっしゃってもいいとは思います。でも日本という枠は相対化して否定しきれるものではないというのが私の考えですし、せめて様々な伝統、他者の生き方に対する敬意というものは皆にもって欲しいと思うのです。

めんたいこ

 そういえば「明太子」について触れておりませんでした。「めんたいこ」という語は北九州において「たらこ」の意味で使われています。「たらこ」自体を日本文化とか言うのはおかしいように思うので、おそらく「辛子明太子」のことを指していらっしゃるかと。その話を少々。
 かつてグリコのご当地限定ポッキー博多めんたいこ味を購入した折に、めんたいの語源を朝鮮語に求める説が書かれていたように記憶しておりました。しかしミョンテとかミンデとかではなく「めんたい」と発音するのはなんでかなと、調べてみたことがあります。その時出会ったサイト(urlだけ変わっておりましたが)「T-maru's Home Page / 尚智庵」さんから少々引かせていただきます。
 メンタイコの語源について

…ある時、思い出して、韓日辞書で「メンタイ」を引いてみた。ところが、どこにも、「メンタイ」と発音する単語は無かった。あれこれ調べて「スケトウダラ」を意味する韓国語は、「ミョンテ」であることがわかった。漢字表記は確かに「明太」だった。韓国語を少しでも囓った人ならおわかりと思うが、これは韓国固有の言葉ではなく、漢字語と呼ばれる中国から入った言葉である。ちなみに、韓国では「明太子」は「明卵漬」と表記し、発音は「ミョンナンジョ」である。私は確認のため、ロッテデパートの地下の食品売り場で現物を買って味も確かめてみた。日本のものに比べて、強烈にニンニクが利いていて、まあ似て非なるものである。


 「メンタイ」の発音が、韓国語から来たものではないとしたら、それは一体どこから来たものだろうか?この話題をNiftyのあるフォーラムでしていたら、あるロシア語の先生が、ロシア語で、スケトウダラを「минтаи(ミンタイ)」と呼ぶことを教えてくれた!
(中略)
 ただし、ある筑波大学のロシア語の先生によれば、この「минтаи(ミンタイ)」という言葉は、明らかに純粋なスラブ語系の語彙ではないという。また、ロシア語の百科事典においても、20世紀になって初めて登場する言葉だという。


 それでは、元々どこの言葉なのだろうか?中国語ではどうかというと、講談社の中日辞典によれば、スケトウダラは「明太魚」(魚は下が横棒の簡体字)は発音 mingtaiyu(ミンタイユー)であることが確認できた。韓国語の「明太(ミョンテ)」は、この漢字表記が中国から入ったと考えるのが自然であろう。
(中略)
 ここからは私の推測であるが、「ミンタイ」という言葉は、スケトウダラの大漁場であったベーリング海沿岸で元々使われていた言葉ではないのだろうか?そこからロシア語、中国語に入り、おそらく中国語から韓国語・朝鮮語に入ったのではないかと思う。終戦前まで、旧満州地区で暮らしていた人によれば、当地でも「明太子」は好んで食されていたということである。


 いずれにせよ、広辞苑も世界大百科事典も、「メンタイ」=朝鮮・韓国語説を採っているが、何の根拠に基づくのであろうか。とある国語辞書に到っては、「メンタイ」のハングル綴りをローマ字で示すことまでしている。(しかも、その綴りは、韓国語にはありえないものである。)

 とても面白い考察がなされております(この続きもまた他の考察も素敵に面白いのでおすすめです。ぜひそちらもご覧ください)。


 さて「めんたい(こ)」の語が非常にワールドワイドに動いてきたらしいことはわかりましたが、今私たちが目にし口にする辛子明太子となりますと、あれはどうやら韓国の「ミョンナンジョ」とも異なる博多あたりの特産と言ってもよいものらしいですね。


 とうがらしで漬けるという点からするといかにも半島風ではありますが、辛子明太子の味自体は博多あたりで工夫され広まっていったと考えられますので、大枠では日本の食文化と捉えて間違いないと思います。ただ舐め味噌あたりに比しても他の地方でポピュラリティーを得たのはつい最近のようですので、伝統というにはどうかなとも思います。
 大体、今の韓国・朝鮮の唐辛子の用い方はまさに半島の食文化として際立つものでありますし、彼らにとってもそれは伝統であるでしょう。しかしその唐辛子、朝鮮で「南蛮椒には大毒あり。始め倭国から来たので俗に倭芥子という」(『芝峰類説』1613)などとも言われていましたし、原産はもともと中南米です。ですからいずれにせよ外国の船を媒介して朝鮮に渡ったのは間違いありません。それでもあの食文化は朝鮮独特−伝統だなということで結構なのではないでしょうか。


 実際bluefox014さんは、何らかのものが日本の文化・伝統だとして語られることのどこに問題点を捉えてらっしゃるのでしょうか? 「日本」というフィクションを強化するから、ということでしょうか? しかしよしんばそれがフィクションだとしても、それは私たちの基底にあるフィクションになっていると思いますので、解体などおいそれとできるものではないでしょうし、かつ無意味なことでしょう。少なくとも私はそう考えております(よろしければ昨日の日記もごらんください)。

伝統の捉え方(捕捉)

 antonianさまにコメントをいただきました。とてもすっきりとまとめていただきましたが、まさに「日本という括りは近代において面によって括られた範疇であるがゆえに文化的なものというのは辺境では入り組んでいて必ずしも国境と一致はしない。しかし中心となる点があくまで日本という面の範囲である以上、それはやはり「日本文化」として分類される」ということは言えると考えます。まずこうして素朴に考えてみることは必要だと感じております。
 でもおそらくSchwaetzerさん(や、もしかしたらbluefox014さん)が捉えている問題点は少しずれたところにあると思うのです。それは私には

 「日本の伝統」という形で私たちが捉えるものは、それぞれの人が居住する地域の伝統を加えていった総体とは違うあり方をしているのではないか

 とでもいうところに見えるのですね(勘違いかもしれませんが)。
 私もこれを考えてみると、上記のことは言えると感じています。つまりそこに「日本の伝統」という概念を介在させて捉えられたそれぞれの地域の伝統は、すでに一定のバイアスを受けているといえるのではないかと…。


 しかし私はそのバイアスを意識したとしても、一回りしてきた反省によって捉えられるそれぞれの文化・伝統も結局「日本の伝統」というところを脱却したものではないと考えるのです。それがすでに私たちに「自然」なものとしてあるからです。
 Schwaetzerさんは修辞的に「日本の伝統は失われた」ということをおっしゃいますが、まさにそれを失われた「日本の伝統」として語るとき、実はそれが表象として実在化しているのではないでしょうか。そしてそれは、私などが感じる伝統への愛惜、郷愁と同様のものに見えたのですね。ですから、日本の伝統があるとか無いとかに拘られずに「伝統を相対化した上でそれを尊重するという立ち位置」を採りましょうよと申し上げたところがございます。
 bluefox014さんはもしかしたら、日本と言う枠組は相対化できて、そしてそれを相対化した向こうに何か新しいものが獲得できるとお考えなのではないかと私には感じられました。でも私には日本を相対化しきることはとても困難なことであり、万一それができたとしても単にデラシネになってしまうだけではないかと思えるのです。ですから、日本というものの解体は無意味ではありませんかと申し上げた次第です。


 そしてそこから「抜ける」ということができないようでも、捉えなおすことは可能だと思っていまして、今日書いたことなどは伝統というものとの関わりについての捉えなおしの一つの試みというものでした。楽屋裏でこういうところですね。
 もし私の提示する「捉えなおし」が魅力的であれば、納得するというのではなくても「日本の伝統」なんてフィクションだというようなことはおっしゃらなくていいということを感じてくれるはずと思いましたが、良く見ればそこまでできのよいものでもないですし…。こういう文はもっと練って書けばよかったです。
 ただ一つ私が感じていること、つまりそれを素朴に捉えても、反省して大回りに捉えても、結局は同じようなところにいるしかないのでは?ということは書き留めたく思いましたので、antonianさまのコメントをいいきっかけにしてこうして蛇足を連ねた次第です。
(※ここで「捉えなおし」というのは、伝統に縛られたり、あるいは伝統を否定したり…というどちらでもなく、伝統を楽にうけとめることができるようになる…というところをイメージした言葉です)