めんたいこ

 そういえば「明太子」について触れておりませんでした。「めんたいこ」という語は北九州において「たらこ」の意味で使われています。「たらこ」自体を日本文化とか言うのはおかしいように思うので、おそらく「辛子明太子」のことを指していらっしゃるかと。その話を少々。
 かつてグリコのご当地限定ポッキー博多めんたいこ味を購入した折に、めんたいの語源を朝鮮語に求める説が書かれていたように記憶しておりました。しかしミョンテとかミンデとかではなく「めんたい」と発音するのはなんでかなと、調べてみたことがあります。その時出会ったサイト(urlだけ変わっておりましたが)「T-maru's Home Page / 尚智庵」さんから少々引かせていただきます。
 メンタイコの語源について

…ある時、思い出して、韓日辞書で「メンタイ」を引いてみた。ところが、どこにも、「メンタイ」と発音する単語は無かった。あれこれ調べて「スケトウダラ」を意味する韓国語は、「ミョンテ」であることがわかった。漢字表記は確かに「明太」だった。韓国語を少しでも囓った人ならおわかりと思うが、これは韓国固有の言葉ではなく、漢字語と呼ばれる中国から入った言葉である。ちなみに、韓国では「明太子」は「明卵漬」と表記し、発音は「ミョンナンジョ」である。私は確認のため、ロッテデパートの地下の食品売り場で現物を買って味も確かめてみた。日本のものに比べて、強烈にニンニクが利いていて、まあ似て非なるものである。


 「メンタイ」の発音が、韓国語から来たものではないとしたら、それは一体どこから来たものだろうか?この話題をNiftyのあるフォーラムでしていたら、あるロシア語の先生が、ロシア語で、スケトウダラを「минтаи(ミンタイ)」と呼ぶことを教えてくれた!
(中略)
 ただし、ある筑波大学のロシア語の先生によれば、この「минтаи(ミンタイ)」という言葉は、明らかに純粋なスラブ語系の語彙ではないという。また、ロシア語の百科事典においても、20世紀になって初めて登場する言葉だという。


 それでは、元々どこの言葉なのだろうか?中国語ではどうかというと、講談社の中日辞典によれば、スケトウダラは「明太魚」(魚は下が横棒の簡体字)は発音 mingtaiyu(ミンタイユー)であることが確認できた。韓国語の「明太(ミョンテ)」は、この漢字表記が中国から入ったと考えるのが自然であろう。
(中略)
 ここからは私の推測であるが、「ミンタイ」という言葉は、スケトウダラの大漁場であったベーリング海沿岸で元々使われていた言葉ではないのだろうか?そこからロシア語、中国語に入り、おそらく中国語から韓国語・朝鮮語に入ったのではないかと思う。終戦前まで、旧満州地区で暮らしていた人によれば、当地でも「明太子」は好んで食されていたということである。


 いずれにせよ、広辞苑も世界大百科事典も、「メンタイ」=朝鮮・韓国語説を採っているが、何の根拠に基づくのであろうか。とある国語辞書に到っては、「メンタイ」のハングル綴りをローマ字で示すことまでしている。(しかも、その綴りは、韓国語にはありえないものである。)

 とても面白い考察がなされております(この続きもまた他の考察も素敵に面白いのでおすすめです。ぜひそちらもご覧ください)。


 さて「めんたい(こ)」の語が非常にワールドワイドに動いてきたらしいことはわかりましたが、今私たちが目にし口にする辛子明太子となりますと、あれはどうやら韓国の「ミョンナンジョ」とも異なる博多あたりの特産と言ってもよいものらしいですね。


 とうがらしで漬けるという点からするといかにも半島風ではありますが、辛子明太子の味自体は博多あたりで工夫され広まっていったと考えられますので、大枠では日本の食文化と捉えて間違いないと思います。ただ舐め味噌あたりに比しても他の地方でポピュラリティーを得たのはつい最近のようですので、伝統というにはどうかなとも思います。
 大体、今の韓国・朝鮮の唐辛子の用い方はまさに半島の食文化として際立つものでありますし、彼らにとってもそれは伝統であるでしょう。しかしその唐辛子、朝鮮で「南蛮椒には大毒あり。始め倭国から来たので俗に倭芥子という」(『芝峰類説』1613)などとも言われていましたし、原産はもともと中南米です。ですからいずれにせよ外国の船を媒介して朝鮮に渡ったのは間違いありません。それでもあの食文化は朝鮮独特−伝統だなということで結構なのではないでしょうか。


 実際bluefox014さんは、何らかのものが日本の文化・伝統だとして語られることのどこに問題点を捉えてらっしゃるのでしょうか? 「日本」というフィクションを強化するから、ということでしょうか? しかしよしんばそれがフィクションだとしても、それは私たちの基底にあるフィクションになっていると思いますので、解体などおいそれとできるものではないでしょうし、かつ無意味なことでしょう。少なくとも私はそう考えております(よろしければ昨日の日記もごらんください)。