なぜガムを噛んでいると失礼と言われたりするのか

 私は残念ながらその映像を見ていないのですが、WBCのメダルやトロフィー授与の際、日本選手がガムを噛んでいたことが「恥ずかしい」と書かれているものを拝見しました。そんなに目くじら立てるほどのことかなとも思う反面、式典等でのガムくちゃくちゃはやっぱり失礼なことだなあと思う感覚も共有していたりします。


 たとえばアメリカの大学(の一部)では、授業中にガムを噛んでいたりドリンクを机においていたり固定机に足を上げていたりするのも普通のことであって、それはリベラルでフランクな態度なんだと言われても多分私にはどうもなじめないと思うのです。かつてスポーツをやりながらガムを噛むというのは、来日したメジャーリーガーの描写として定番(というかあれはガムでなく噛みタバコだとか言われたこともあり)だったのですが、最近はガムの会社の選手のみならず、結構日本球界でも多いと聞いたこともあります。そして大学の授業にペットボトルを持ち込む子が増えたということも…。


 マナーとか礼儀とか言ってもそれは属する集団に限定される相対的なもので、ペニスケースが普通の格好である人たちに「それはエロ」と言って禁止させるわけにも参りません。いえ、文化接触はそういう簡単なものではなく、パンツを与えられて穿くようになった者がそのパンツの背後にある文明(のオーラ)を身につけたと思って尊大になってしまうなど(cf.有吉佐和子『女二人のニューギニア』)、そこには相対的と済ますことのできない力関係も介在するのですが、それはさておき。


 なぜガムを噛みながらだと「失礼」になってしまう場面が存在するのか?


 ということについてです。それは「一途に注意(志向)が向けられていない」ことが失礼(もしくは侮辱)になるという感覚を基盤にしているのだと考えます。
 たとえば相手との一対一の対話、ここで求められる礼儀は、お互いがお互いの口にすること、一挙手一投足に注意を払うという姿勢でしょう。それが公的な場面でしたら、セレモニアル・センターに向かっての注意が散漫になることが失礼ということだと思います。


 飲みながら、あるいは食べながらの会話が成り立つのは、あくまでも相互の飲食という同じレベルにいてのことで、どちらかだけが飲み、どちらかだけが食べているところでは少なからず違和感というものがあるでしょう。もっとも「食事中は喋るな」というしつけはすでに過去のものになったようで、マナーというものもいろいろ変わっていくんだなとも感じます。


 決してガムを噛んでいる側に、相手を蔑ろにしようとか、注意散漫にプレーしているとかいう意識はないんでしょうが、どうしてもそれを目にする側で「自分に意識を傾注していない」とか「プレーに集中していない」とかいう受け取り方がなされる。そういうところが「ガム」を噛む行為にはあるということでしょう。
 もちろんこの先、ガムを噛む行為がマナーとして悪くないことになる可能性だってあるわけですが…