和辻哲郎の『古寺巡礼』がトンデモだという話

 先日、大野晋氏が亡くなられた時、やはりといっては何ですが『日本語の起源』あたりを以ってトンデモ論だったなあと振り返る言及も少なからず見られました。
 国際日本文化研究センター井上章一氏は以前に大野氏のこうした著作について次のように述べられていたことがあります。

 …大野晋さんの『日本語練習帳』はよく売れていますが、『日本語の起源』などは岡倉天心的な色彩もあって、結局、彼はインド・ヨーロッパ語族に対するインド・日本語族みたいなものを東アジアで想定したいという情熱がまずあったんじゃないかと思うんです。インド・ヨーロッパ語族ばかりが言語学界で大きい顔をしているのにひとあわふかせてやりたかったんじゃないでしょうか。


…大野さんが愛読している日本の古典に出てくる言葉で、タミール語に似ているものがあって、そそられはったんだと思いますが…


…大野さんのような地道な学問に長年勤しんできたような人の中で、何歳かになった時、突如として爆発するという人がいますよね。大野さんの場合も、何歳かの時点で、「もういいっ!」とふっきれたんじゃないでしょうか。自分は、これから学問で夢を語るんだと。
 (鼎談「二十世紀の迷える「名著」たち」、文藝春秋『本の話』2000年1月号)

 「吹っ切れた」のか「切れた」のか、とにかく学問的には肯定されないものだったという認識は持ちたいと思いますが、トンデモ本として切って捨てるのではなくて多くの人に愛された読み物が書けてよかったんだと考えてさしあげたいような気はします。
 さてこの鼎談(井上氏の他に荒俣宏氏と紀田順一郎氏)で井上氏はかなり興味深い話をされています。和辻哲郎の『古寺巡礼』や『風土』もトンデモ本じゃないかという話です。

 例えば、『古寺巡礼』で、和辻は、ギリシアと日本ほど風土の似た所はないと書いているんですが、それが『風土』になると、ギリシアと日本ほど風土の異なる所はない、という書き方をしている。十数年の間に風土観が変わるわけですが、それは和辻の都合で変えた側面がある。『古寺巡礼』は、何が何でも古代の奈良にヘレニズム文化が届いていたことを力説したくて書いた本でしょう。
 ヘレニズム文化がインドや中国を経て日本まで到達したならば、普通、インド風、中国風に変形され、それが日本にも伝わったと考えるべきですよね。でも和辻は中国人がインド風を嫌い、それらを削ぎ落としたから、日本へは、インドにそまる前の純粋なヘレニズム文化が届いたと主張する。これは余りに無茶苦茶な話で、なんでこんなものが古典的名著ともてはやされるのか、僕にはよう分からんのです。


 …伊東(忠太)は、ギリシアのエンタシスの柱が日本に届いていたというわけで、『古寺巡礼』の先駆者ですね。伊東は、ジェームズ・ファーガソンという十九世紀のイギリスの建築家の本を読んでいて、ファーガソンがインドより東の地域にはギリシア・ヘレニズムの文明が届いていないという理由で、中国や日本を見下したことに、反発したんです。法隆寺の柱が膨らんでいるのを見て、これもエンタシスだ、日本にもギリシア文化は届いていると信じて喜ぶんです。
 これなんか、ギリシアのおこぼれが日本にも届いていたという情けない舶来崇拝なんですが、その考えを和辻が増幅して『古寺巡礼』を書いたわけです。でも、こういう考えは学問的には一九一〇年代から、みんな否定されているんですよ。
 多分、和辻は、そういう勉強をしていなくて、否定されていることを知らずに、頑張って書いたんでしょう。

 実家に戻れば『風土』はあったと思いますが、『古寺巡礼』を読んだ記憶はちょっとないですね。ほんとうに少しばかり部分的には高校の教科書に載っている文を読んだはずですが。
 そういう本だったの?と驚きもしますが、こればかりはちゃんと原文にあたってみないことには何とも言えないなと思って、それからもう何年も経っていることに今さら気付きました(笑)
 さて実際はどうなんでしょう。
 そしてそれがどうあれ、『古寺巡礼』や『風土』にしてもある時期の人々に愛された本だったのでしょうし、今どうこういう必要もないんじゃないかとも(ちょっとだけ)思うのでした。