他者論

自己決定する「自己」

何でもかんでもすべてが自己決定権に帰着するとはちっとも思っていないのですが、要所要所で結構この考え方を真っ当なものとしている自分がいます。おそらくそれは、今の自分の美意識に関わってくることなのかもしれません。 ただ忘れてはいけないと思ってい…

他者の痛みはわかるのか?

中里一日記より 2006年03月16日 痛みはわかるものではない 「人の痛みがわかる」という表現が流行りはじめたのは、いつからだろう。ここ数年のような気がする。 こういう表現はいったん慣用句になってしまうと、あまり深く意味を考えなくなってしまう。私も…

自他の分節化

おそらく、差別的思考の萌芽は人間の思考にある分節化(分類と言ってもいいですが)の能力にこそ存在すると思っております。そしてその分節化自体を否定することは、人間の思考の形そのものを否定することにつながるだけなのではないかと…。 社会的動物とし…

チューリングテストと他者認識

チューリングテストという言葉をお聞きになったことがある方は多いと思います。これはアラン・チューリング(Wiki)が提唱したある試験で、人工知能(Artificial Intelligence=AI)などが語られるときには必ず触れられるものです。 チューリングテストと中国…

他者理解の構図(新たなモデル)

「私」は独自の意味の世界、一定の地平を持ちます。この地平は私が他者の側(社会・文化)から多くを借りて作られてきたものとも言えますが、他者の側と私とで相互に組み立ててきたものだともいえます。特定の「他者」との間では、共有するその地平の範囲が…

他者理解の構図5

他者理解というものにおいて私たちにあるのは、もともと意志伝達の「事実」ではなくて「確信」だけであるとすると、いったいこの問題はどう表されるべきなのでしょう。ある種理想的な他者理解の絶対的困難性のゆえに、正当な他者理解というものは諦めねばな…

他者理解の構図4

そもそも私たちにとっては「他者理解」よりも先に「他者(がいるという)確信」が先行しています。それは「共にある」という皮膚感覚であり、その他者が自らと同じ「考える自我」を持っているという確信なのです。それは決して「他者」のすべて、あるいは「…

他者理解の構図3

自分の「思考」を起点に他者の「思考」へたどり着こうとしても、それは決して明らかなものとして与えられることはない。ということを書いて参りました。他者の理解とは、その他者の思考を自分の思考の中で組み立てる(さらに言えばその真偽の認証はその他者…

他者理解の構図2

初めに「自己−自我」を立ててそこから「他者−他我」へ通じる道を考えた場合、それは行き止まりの構図しか描けないということを昨日書きました。孤独に陥った場合によく考える「誰も自分のことなんかわかってはくれない」という独白はまさにこの構図が支える…

他者理解の構図

何も他者理解の構図と大上段に構えなくても、おおよそ他の人のことを考えるシンプルな思考は次のようなものでしょう。 「自分が自分自身のものとして考えている「内面の思考」と同様のものが他者にもあり、他者を理解するとはその他者の「内面の思考」をいか…